種子島時堯とは?
種子島時堯(たねがしま ときたか)は享禄元年(1528年)に生をうけ、戦国時代に種子島氏第14代当主とし鉄砲の生産を国内で最初に成功させた人物として「鉄砲記」に記されています。
時堯が16歳で種子島にいた1543年に、一隻の船がポルトガルから種子島へ来航しました。船に乗っていたポルトガル商人が火縄銃を所持しており、時堯はその実演を目にすることになります。
当時は戦国時代の最中ということもあってか火縄銃に着目し、2挺を莫大なお金を費やし購入しました。1挺を分解し模造しようとするもなかなかうまくはいかず、約1年後にようやく成功といえるまでになりますが、その間は家臣に弾薬の作り方や鍛冶を学ばせ試行錯誤するものの、銃筒の底の部分が難航し完成には及ばず、1544年に来航したポルトガル商船に鉄匠がいたことから、鍛冶職人の八板金兵衛を鉄匠につかせ技術を取得することにより、生産ができるようになりました。
後に時堯の火縄銃は全国に拡がり、種子島の成功をおさめます。
1555年になると武将として島津の家臣となり、島津貴久と島津義久に仕えたとされ、種子島時堯の子孫はそれから長らく島津家とつながっていくこととなります。