出雲大社の歴史をたどる!「出雲大社」にまつわる「日本神話」とミステリー(前編)
画像:出雲大社拝殿
島根県出雲市の「出雲大社」は縁結びの御利益で有名ですが、正式名称は「いずもおおやしろ」です。
「いずもおおやしろ」の分霊が祀られている神社を「いずもたいしゃ」と言い、分霊とは本社の祭神を他の所で祀ることを意味しています。つまり、出雲大社の分社が全国にあるわけです。
さて、この出雲大社には神秘的な謎が多く隠されており、結論から言うと人知を超えた領域の話。どんな手を尽くしても解明されることはないと思うのですが・・・だから面白いんです。
古代・神秘とくれば、そこにはロマンしかありません。そこで今回は、出雲大社にまつわる神話を紹介しながら出雲大社の歴史を辿ってみたいと思います。
出雲大社の起源
画像:1798年編纂の古事記伝・全44巻(宮崎県高鍋図書館所蔵)
出雲大社(いずもおおやしろ)に改名されたのは明治4年で、それまでは「杵築大社(きずきおおやしろ)」と呼ばれていたようです。
出雲大社の起源は「いつ誰が建立(造営)したのか」が謎であり、すでに奈良時代には存在していたそうですが、出雲大社の正確な起源は謎に包まれています。
唯一の手掛かりとして"語り継がれている"のが、古事記に記されている天照大神(アマテラスオオミカミ)と大国主命(オオクニヌシノミコト)の神話です。
古事記は、天照大神の昆孫(ひ孫のひ孫)である神武天皇(初代天皇)の子孫、天武天皇(40代目)が編纂を命じて712年(奈良時代)に完成した日本最古の歴史書とされています。
稗田阿礼(皇族に仕えた官人)が帝紀と旧辞を太安万侶(皇族に仕えた貴族)に読み聞かせながら編纂し、完成した古事記は太安万侶が元明女帝(43代目)に献上しました。
伊耶那岐命と三貴子
画像:伊耶那美命と伊邪那美命(小林永濯・画)
さて、ここからは古事記に記されている神話の世界です。出雲大社の成り立ちとされるスサノオ、アマテラス、オオクニヌシの関係についておさらいしてみましょう。
まず、天照大神(アマテラス)は伊耶那岐命(イザナキノミコト)の長女。
イザナキが日向橘の阿波岐原(宮崎県)で身体を水で清めた際、左目を洗ったときにアマテラスが生まれたと言い伝えられています。
また、右目を洗った際に月読尊(ツクヨミノミコト)が生まれ、鼻を洗った際に素戔男尊(スサノオノ)が生まれ、三人の子供たちはイザナキの三貴子(三貴神)と呼ばれました。
三貴子にとってイザナキは父親であり、古事記にはイザナキと深く愛し合った伊耶那美命(イザナミノミコト)が三貴子の母親と記されています。
そして、イザナキは子供たちに役割を与えました。
- アマテラスは太陽の神として高天原(天界。神々が住む世界)を治めなさい
- 長男のツクヨミは月の神として夜の世界を安定させなさい
- スサノオは海の神として海原を治めなさい
しかし、スサノオは甘えん坊の神様だったらしく、母親に会いたいと泣き叫ぶ毎日を送っていました。それは大人になっても変わらず、母に会わせろ会わせろと駄々をこねて周りを困らせる日々。
イザナキは「ならばイザナミのもとへ行くがよい」とスサノオを追放し、スサノオは姉のアマテラスに会いたくなって高天原を訪れるのですが、ここで事件を起こしてしまうのです。