ミステリー3 なぜ御神座が西を向いている?
画像:出雲大社の境内案内図(出雲大社)
神宮や大社に関わらず神社の本殿は南向きに造られているのが基本で、その中にある御神座(御神体が祀られている)も南を向いているのが通常です。
南向きということは御神座が参拝者の正面にくる形となり、神様と参拝者が向かい合うようになっています。本殿に向かって参拝者が頭を下げるのは、正面にいる神様にお辞儀するためです。
しかし、出雲大社の場合、本殿は南向きに造られているのに御神座は西を向いているのです。参拝者が本殿の正面に立ったとき、御神座は左を向いているという形になります。
つまり、本殿の正面に立っても神様と向かい合わせにならないんです。では、なぜ出雲大社の御神座は西の方角を向いているのでしょうか。
結論を言うと、不明です。理由として様々な説が飛び交っていますが、いずれも根拠はないようです。
たとえば、
- アマテラスの娘(三女神)が祀られている宗像神社の方角が西だから
- スサノオが祀られている素鵞社の方角が西だから
など、いくつかある説の中でも興味深いのは「オオクニヌシが稲佐の浜を見ている」という説です。
10月(神在祭が行われる)になると出雲大社に800万の神(八百万神。全国の神様)が集まると言われており、その神様たちは稲佐の浜から入ってくると伝えられています。
神様たちを出迎えるためにオオクニヌシが西の方角=稲佐の浜を見ている、いかにも神秘的で興味深いですね。本当の理由は、今のところ分かっていません。
ミステリー4 なぜ注連縄が左綯い?
画像:出雲大社神楽殿
注連縄(しめなわ)は人間界と天界(神様の世界)を区切る境界線のようなもので、災いや厄が神域に足を踏み入れない(侵入するのを防ぐ)ための結界とも言われています。
つまり、注連縄から先は立ち入り禁止というわけです。
そして、注連縄は右の縄から綯い始め、左の縄で綯い終わるのが一般的ですが、その理由は神様に向かって右が上位、左が下位とされているからです。
右の縄から綯い始め、左の縄で綯い終わると「右綯い」となりますが、出雲大社の注連縄は左の縄から綯い始め、右の縄で綯い終わっているので「左綯い」になっています。
なぜ出雲大社の注連縄が左綯いなのかについては諸説ありますが、出雲大社の公式ホームページには次のような説明があります。
出雲では古来から神様に向かって左を上位、右を下位とする習わしがありました。 その証拠に、本殿に天之御中主神、高御産巣立日神、神産巣立日神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、天之常立神が祀られていますが、上位の神である天之御中主神は一番左に御鎮座しています。 |
つまり、出雲の由緒正しい伝統に従って古来から出雲大社の注連縄は左綯いなんですね。
ちなみに、出雲大社にある注連縄の中で最も大きい神楽殿の大注連縄は、長さ13.6メートル、重さ5.2トン(5200キログラム)とのこと。桁違いのスケールです。
ミステリー5 なぜ縁結びの御利益があるのか?
画像:歴代天皇史(三栄書房)
出雲大社は言わずと知れた縁結びの御利益で有名な神社。一説によると、出雲大社の縁結びは「国譲り」に由来しているそうです。
オオクニヌシがアマテラスに葦原中国(地上)を譲る際、条件として「葦原中国を天津神が治める代わりに幽世(死後の世界)はオオクニヌシが治める」という取り決めを交わしました。
幽世を治めることを「幽れたる神事」と言い、その神事の中には「万物(すべて)の結びの取り決め」があり、オオクニヌシが結びの取り決めを行ったとされています。
人と人との結び、人と物事の結び、物事と物事の結びなど、すべての縁はオオクニヌシに委ねられていたそうです。
出雲大社に800万の神様が集った際に色々なことを話し合うのですが"結び"についても話し合いが行われるらしく、そうした由来から「縁結び」にご利益があるとされています。
出雲大社の神話に思いを馳せる
出雲大社は、明治4年まで杵築大社と呼ばれ、一説では「築く」という意味合いがあるようです。
何を築いたのか、それは出雲国を中心に国造りを進め、日本の原点を築いたということにつながるわけですが、人知を超えた神話の伝承なので確かな根拠はありません。
とはいえ、ロマンを感じずにはいられないですよね。
前編と後編にわけて出雲大社にまつわる神話とミステリーを簡単に紹介しましたが、出雲大社を訪れた際には、日本神話に思いを馳せながら参拝してみてはいかがでしょうか。