外見以上に内面がイケメン?山中鹿之助
尼子氏に仕え、「我に七難八苦を与えたまえ」という発言が非常に有名な鹿之助も、イケメン伝説が残されています。史料によっては「容姿が優れている」という記載があるほか、「容姿が異質であった」という記録も残されています。
しかし、鹿之助に関してはその生涯に謎も多く、外見に関しては「イケメンとも異なる」という説も根強いです。実際、「鹿之助はりっぱなヒゲをたくわえていた」という記述も確認され、少なくとも美少年系のイケメンではなかったのかもしれません。
ところが、彼に関してはむしろ外見よりも内面のイケメンさが目立つ人物なのです。鹿之助は仕えていた尼子家が毛利の軍門に下ると、その再興に生涯を投じました。何度も何度も作戦に失敗しながら、彼はとうとう最後に暗殺されるまでその願いを諦めることがなかったそうです。
こうした「忠義の姿勢」は江戸時代に注目を浴び、彼を主人公にした作品が数多く誕生することになります。そのため、タイプとしては「熱血系イケメン」といえそうです。
外見がとにかくスゴかった?宇喜多秀家
戦国屈指の寝業師として知られる宇喜多直家の息子・宇喜多秀家は、とにかく外見が優れていたことで知られています。彼自身は今回取り上げた武将の中でも活躍の場面が少なく、晩年は流刑に処されるもののイケメン伝説は本物でしょう。
まず、秀家は高身長であったことが知られています。当時の日本は身長がそれほど高い国でなかったにもかかわらず、彼は当時にしては高身長の170センチを超えていたと伝わっています。
また、性格も温和かつ利発であったとされ、かえって親の直家が「戦国の世で生き抜いていけるのだろうか」と心配するほどの人物であったようです。
さらに、特筆すべきは彼の肖像画で、戦国時代の画にしては明らかに目がハッキリしているのがお分かりいただけるでしょう。当時のデフォルメを施してなおこれだけイケメンに見えるということは、彼に限っては現代でもその外見が通用しそうに思えます。
温和な性格と優しさを感じる外見の組み合わせから、彼はさしずめ「大人しいお坊ちゃん系イケメン」と表現できるかもしれません。