とにかく熱心に仏教を信仰した!上杉謙信
こちらは「占い」とは少し異なるかもしれませんが、とにかく仏教を熱心に信仰した大名が上杉謙信です。彼の信仰は当時仏教が盛んに流行していたということを差し引いても熱心なもので、特に「毘沙門天」と呼ばれる軍神を崇めていたことで有名です。
その徹底ぶりはかなりのものがあり、彼は「三帰五戒」と呼ばれる戒律を授かっています。
これは「殺さず」「奪わず」「犯さず」「騙さず」「酒を飲まず」という非常に強い縛りであり、戦乱の世に生きることを考えれば生命にかかわる規則と言えるでしょう。
また、「毘沙門天」の「毘」の字を軍旗に取り入れ、信玄同様に戦だけではなく政治についても仏教の教えを実行することで熱心な教徒であることを示さんとしたようです。
ただし、先ほど挙げた「三帰五戒」に関してはその大部分を能動的な形で破っており、上記はあくまで「努力目標」という程度のものに過ぎなかったと考えられています。もちろん、時代柄を考えればそれも仕方のないことなのですが。
キリスト教王国を作ろうとして大失敗?大友宗麟
熱心なキリシタンとして著名な戦国大名、それが大友宗麟でしょう。彼はもともと仏教徒として人生を送っており、そもそも「宗麟」という名自体も彼が出家した際につけられた法号のことを指しています。
しかし、彼はやがて海外からやってきた「キリスト教」という異教に魅了され、いつしか自身も洗礼を受けて熱心なキリシタンへと変貌していくのです。
こうしてキリシタン大名として積極的な海外との交流を図った宗麟。もちろん、宣教師をはじめとする南蛮人によって持ち込まれた「南蛮文化」は良い側面もあり、今でいうところの公共病院を設立するなど、先進的な政策もみられました。
ただし、彼はキリスト教に傾倒するあまり仏教を敵視するようになってしまい、旧来の神社仏閣を徹底的に破壊するという「文化的侵略者」の側面も持ち合わせていたことは指摘しなければなりません。
彼の強い信仰はやがて家臣らの強い反発を招き、大友家が衰退する一因にもなっていくのでした。残念ながら、彼が夢見たキリスト教王国も成立することはなかったのです。
くじに頼りすぎて家臣に呆れられた?島津義久
戦国でも屈指の兄弟として知られる「島津四兄弟」の長男、島津義久も占いを重視した大名として知られています。
彼自身は謙信や宗麟のように強い宗教的信仰心をもっていたわけではありませんが、とにかく「くじ引き」でものごとを決める癖があったことで知られています。
彼がくじ引きの対象にしたものは
- 戦に赴くか否かの判断
- 自分の後継者
- お昼ご飯
など、重要なことから些細なことまで何でもくじによって意思決定していたようです。
この主君の行動を見ていた家臣の上井覚兼は、自身の日記に「殿様はなんと愚かなのだろうか…」と書き残しているほど家内でも有名で、彼を「くじ引き大名」に命名しても差し支えないのかもしれません。
ただし、このくじ引きという作業には政治的な役割もあったようで、あらかじめ決定していたことを「くじ引きによって選ばれた」というように見せかけることによって「論理的正当性」を担保していたという可能性もあるようです。
やはり戦国の常識を知るのは難しいですね。