人形に想いを託して尼子氏を滅ぼした?毛利元就
「三本の矢」の逸話で有名な毛利元就も、呪術を活用した大名の一人です。彼はここまで挙げてきたような「占い」や「宗教」ではなく、本当の意味での「呪い」を取り入れたことで知られています。
彼が勢力を拡大するにあたって、頭を悩ませたのは対立する有力な尼子氏という大名でした。尼子経久を中心によくまとまった一家であり、かつては毛利氏の配下に属していたこともありました。
彼らに対抗する手段として採用したのが「呪術」で、世界遺産の厳島神社に「尼子氏の滅亡」を願っていたほか、驚くべきことに「尼子氏」をかたどった藁人形を作成して呪いを込めていたともいわれています。
我々の価値観からすると何とも可愛らしいような愚かしいような不思議な気持ちになりますが、彼の呪いが通じたのか尼子氏はやがて衰退していき、永禄9年(1566年)に滅亡しました。
呪いの効果はテキメンだったのかもしれません…。
戦国の世における「信じること」の大切さがわかる
ここまで、少し面白おかしく戦国大名たちがどれほど「非科学的なもの」を信仰してきたか、ということについて解説してきました。
もちろん我々からすれば「なんでそんなことしてるのよ」と言いたくなるのですが、そこは時代の違いを考慮しなければなりません。
そもそも、当時は今よりもずっと政情が不安定な時代であり、加えて自然の摂理がほとんど解明されていない状態にありました。こうなってしまうと、何の信仰もなしには世の中を生きていくことが難しかったのです。
もしこれらの行いが単なるオカルトと考えられていれば、ここで挙げた大名たちが熱心に信仰することはなかったでしょう。
さらに、記事で紹介した大名はどれも戦国の世で名を轟かせた偉人たちであり、「心の弱い部分を補うための『信じること』」として呪術や占いは欠かせない存在であったのです。
自分一人の決断で家の運命が決まるわけですから、一人の人間が背負うには重い責務であったことは理解できそうです。
もっとも、事実として今回挙げた大名は「戦国末期には滅亡・衰退した家ばかり」ともいえます。
天下を掴んだ織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった武将たちは、全くこれらに手を出さなかったわけではないですが、彼らに比べるとやや控えめに映ります。
戦国の世を生き抜くには占いも大切でしたが、勝ち抜くには占いではない「何か」が必要だったのかもしれませんね。