島左近
画像:島左近の肖像(京都文化博物館)
島左近は石田三成の腹心の部下として知られていますが、父母や生没など未だ不明な点も多く、一昔前までは存在そのものを疑われていたようですが、その後の研究で存在を示す史料が見つかり、実在していたことが認められています。
生没 | 推定1540年生まれ 推定1600年死去 |
出身 | 推定 大和国(奈良県) |
主君 | 筒井順慶から筒井定次、蒲生氏郷から豊臣秀長 |
最後は石田三成 | |
親族 | 息子:島信勝 娘:珠 |
特徴 | 猛将 知将 石田三成の右腕 鬼 |
右近は筒井順慶の家臣からスタートし、順慶の跡を継いだ筒井定次に嫌気がさして無所属の浪人となりますが、当時から左近の能力は高く評価されていたようで、各地の武将や大名から「うちの家臣になって」と誘いを受けていました。
しかし、すべての誘いを断り、浪人生活を送る左近。しばらくして左近のもとへ・・・(続きはコチラ)
井伊直政
画像:井伊直政の騎馬像(JR彦根駅)
20歳前半で徳川四天王の一人と称えられ、徳川家への忠義は厚く、合戦では我先にと先陣をきって突撃し、赤い装備を身にまとった部隊「赤備え」を率いていたことから「井伊の赤鬼」という異名がついた猛将です。
生没 | 1554年生まれ 1613年死去 |
出身 | 遠江(静岡県)井伊谷 |
主君 | 徳川家康 |
親族 | 父:井伊直親 息子:井伊直勝・井伊直孝 娘:德興院 |
姉:高瀬姫 養母:井伊直虎 直政は井伊直弼の先祖 | |
特徴 | 徳川四天王 赤鬼 赤備え なかなかのイケメンだった |
井伊直親とおひよの子として遠江(井伊谷)で生まれましたが、直親が謀反の疑いをかけられ主君の今川氏真に処刑されると、2歳の直政(幼名は虎松)は井伊谷城の城主・井伊直虎(次郎法師)に育てられたとされています。
その後、武田信玄が今川氏の領土・駿河に侵攻した際、井伊家の家臣である・・・(続きはコチラ)
蒲生氏郷
画像:蒲生氏郷の銅像(ひばり野公園)
武芸に秀で、茶道や俳句など教養も優れた文化人であり、頭が賢く人柄も良い寛容な心の持ち主で、織田信長に仕え、信長の死後は豊臣秀吉の家臣として豊臣家を支えた知将、蒲生氏郷。
生没 | 1556年生まれ 1595年死去 |
出身 | 近江(滋賀県) |
主君 | 織田信長から豊臣秀吉 |
親族 | 父:蒲生賢秀 息子:蒲生秀行 正室:冬姫(信長の娘) |
特徴 | 文武両道 めちゃくちゃ賢い 利休七哲の一人 キリスト教徒 |
蒲生家は鎌倉時代から続く一族であり、氏郷の父である賢秀は近江の守護大名・六角氏の重臣でした。しかし、1568年に織田信長が六角氏を攻め滅ぼすと、賢秀は信長の家臣となりました。
このとき、人質として13歳の氏郷は織田家に差し出されますが・・・(続きはコチラ)