なぜ仲良くできなかった?
画像:加藤清正の複製(京都府勧持院)
加藤清正も三成の"チクリ"によって秀吉から叱責を受けた武将の一人。1592年の文禄の役において、清正は先鋒隊を任せられていた小西行長より先に突撃して武功を挙げました。
虎をも恐れぬ猛将の清正ですし、イケイケで敵地へ乗り込んでいったんです。その状況を知った三成は「清正が自分勝手な行動で統制を乱して小西を困らせている」と秀吉に報告。
命がけで戦っている清正にしてみれば「違反だよ」の一言で片付けられて腹が立ったわけですよ。
黒田長政に関しては、ほかの報告係が秀吉に「長政の部隊は働きが少なかった」とザックリした戦況を知らせた際、これを聞いた三成が「戦わないなんて大問題だ」と騒ぎ立て長政は謹慎処分を受けることに。
実際には、清正ら1万の兵が籠る蔚山城に朝鮮と明の連合軍5万が攻め、長政や加藤嘉明らの援軍が駆け付けたことでピンチを回避できたのですから何もしなかったはずはないのですが・・・。
「働きが少なかった」という報告だったのに、三成が騒いだせいで「働いていない」みたいになってしまい、これまた命がけで仲間を助けに行った長政にしてみれば腹が立つのも当然。
前線で戦っている武将らに「大変だね、ご苦労さま」とか「秀吉様にも活躍ぶりを伝えておくね」など労いを込めた好意的な一言をかけていれば武闘派の連中も三成に対して憎しみは抱かなかったはず。
それなのに、批判的な態度でプライドを踏みにじってしまったわけです。ちょっと頭を働かせれば、秀吉が亡くなったあと清正や長政らは助けになる人材だから仲良くしておこうと分かるようなもの。
三成ほど有能なら、なおさら気づけたはずです。でも、そうしなかった三成。
しかし、もし三成がアスペルガー症候群だったとすれば、「仲良くしなかった」のではなく「そもそも仲良くする感覚が備わっていなかった」と考えられるかもしれません。
その1 調和のとり方がわからない
画像:アスペルガー症候群と高機能自閉症(杉山登志郎・著)
アスペルガー症候群には「調和のとり方がわからない」「共感したり感情を共有・察知する能力が乏しい」「コミュニケーション障害がある」「融通が利かない」といった特徴が多くみられるそうです。
つまり、アスペルガー症候群は「相手の立場になって考える」ということができません(もしくは困難)。
たとえば太っている人に「デブ」とか「太ってるな」と無意識に言ってしまい、相手が「どう思うか」ということは前提にない(気にしないし悪意もない)んです。
年配の女性に「老けてるね」とか容姿を気にしている人に「不細工だね」と言ってしまうのも同じ。アスペルガー症候群の場合、その行為に、これっぽちも悪気はありません。
協調や調和のルールが感覚的にわからないので、素直に思ったまま真実を言葉にしてしまいます。周りから見れば「無神経」ってやつですね。
そのため、"仲間の秘密"も共有できません。問われるままに答えてしまい、裏切り行為といった認識がないので聞かれれば内緒ごとも当然のように話してしまうわけです。
三成の場合もアスペルガー症候群という視点で考えれば「清正や長政は第一線で働く役割」だから「前線で戦うのは当たり前のこと」であり、「問題に感じたことを素直に報告した」だけの話。
なぜなら、それが「自分の役割」だから。
かわいそうだし大目にみる、仲間だし大した問題じゃないなら内緒にしてあげる、今後の付き合いもあるから仲良くしようという感覚が三成には備わっていなかったのかもしれません。
相手の意図を呼んだり、相手の反応をみながら距離を保つといった本能的なコミュニケーション能力も欠如しており、周囲と調和がとれなくても不思議なことではないのです。
盟友の吉継や島左近でさえ「あなたには人望がない」と三成に言っていたくらいなので、組織の中で孤立した(浮いた)存在であったことがうかがえます。
同年代の人らと対等に相互的な関係を築くことができないのもアスペルガー症候群の特徴らしく、理由として「仕切りたがり」の傾向があり、自分の思い通りに動いてくれないと拒絶し、孤立するケースも珍しくないようです。
その2 想像力が乏しく臨機応変に対応できない
画像:人付き合いが苦手なのは アスペルガー症候群のせいでした(吉濱ツトム・著)
著しい想像力の欠如や生真面目すぎて臨機応変に対応できなかったりするのもアスペルガー症候群の特徴。その原因として、ゲシュタルト知覚が乏しいことが影響しているそうです。
ゲシュタルト知覚とは、全体像を把握(全体の枠組みで理解)する知的感覚のことで、個別的な情報ではなく全体を捉える習性のこと。
ゲシュタルト知覚が乏しい人は全体像を認知できずに、それらを構成するものを個別で認知するため、物事のつながり(文脈)が理解できない、空気が読めないといった特徴が現れます。
ゲシュタルト知覚は本能的な察知能力であり、頭の良さや賢さとは無関係。
一つ一つを個別的にとらえるので、この場面では(こういうときには)こうしたらいけない、こう言わないほうがいいなど、想定したり機転を利かせたりすることが困難なのです。
だから、相手の気持ちを汲み取ったり意図を読んだりするのも困難。冗談(ジョーク)が通じずに、そのまま素直に受け取ってしまうので勘違いされやすいことも珍しくありません。
さらに、生真面目で完璧主義な傾向があり、自分の中のルールやパターン、または集団で決められた規則などから外れた人に対して否定的な対応をとるので、しつこいくらい注意したりするのも特徴。
柔軟に物事を捉えて消化、または対応することが苦手なため、生真面目で堅物、そんでもって要領が悪いという印象を与えてしまうことが多いんですね。
その3 感性・感覚に偏りがある
アスペルガー症候群の人は音(聴覚)や光(視覚)、嗅覚や味覚、痛覚や触覚、身体防衛に過敏な特徴があり、全ての感覚が鋭いわけではなく、いずれかの感覚が突出している傾向が強いそうでです。
問題は、その感覚が偏っているということ。たとえば、嗅覚や聴覚が鋭いのに痛みには鈍感だったり、痛覚は敏感なのに触覚が鈍いといった偏りがみられるそうです。
三成の感覚にも過剰なまでの偏り(強いこだわり)が見受けられます。
三成が関ヶ原の戦いで旗印に掲げた「大一大万大吉」の文字。ちなみに、これは三成の家紋ではありません。理想と願いを込めて三成がデザインしたロゴマークのようなものです。
読み方は「だいいち、だいまん、だいきち」。意味は「一人が万民のために尽くし、万民が一人のために尽くせば太平の世が訪れ、皆が幸せに暮らせる」という願いが込められています。
つまり、One for All, All for one(一人はみんなのために、みんなは一人のために)の精神ですね。
さて、この「大一大万大吉」ですが、当時としては斬新で奇抜なデザインでした。現代で考えても、なかなか思いつかないハイセンスな発想ではないでしょうか。
視覚に鋭いタイプのアスペルガー症候群は、特定の文字や模様に強い執着をもつ傾向があり、独特な感性と発想で才能を開花させるケースも珍しくないそうです。
また、三成は健康維持に対する過剰な身体防衛を示しており、その様子をうかがえる次のような逸話が残されています。
ある年の10月に毛利輝元が秀吉へ桃を贈ったところ、三成は「立派な桃だが季節外れだし秀吉様が食べて体を壊せば互いに不都合が生じるから今後は季節のものを贈ってください」と受け取らなかったとのこと。
また、関ケ原で敗戦し、京都の六条河原で処刑される直前、こんな話もあります。
処刑の前日。「最期に何か食べたいものはあるか?」と聞かれた三成は「ニラ雑炊が食べたい」と答え、「なぜニラ雑炊を?」と聞かれると「体に良いから」と答えたとか。
三成は日頃から腹痛を起こしやすい体質だったそうで、当時、消化が良くて冷え性の改善に効果的とされていたニラ雑炊を所望したわけです。
また、首を斬られる直前のこと。縄で縛られていた三成は喉が渇いたので「水が欲しい」と願い出たところ、見張りの者が「水はないけど柿があるから柿でいいか?」と返答。
すると三成は「柿は体を冷やすし消化が悪いから必要ない」と拒否。あと数時間で死ぬとわかっているのに最後まで健康を気遣っていた三成。
通説では「最後まで生き抜くことを諦めなかった」と語られていますが、アスペルガー症候群がもつ健康維持に対する過剰な身体防衛だとしたら・・・、なんて考えてしまいました。
その4 計画性がなく信じ込みやすい
画像:もしかしてアスペルガー! ?(司馬理英子・著)
アスペルガー症候群の人は計画を組み立てて実行に移すのが困難という特徴がみられ、ある程度の骨組み(下地)や誰かのアシストがないと行動が散漫になってしまう傾向が強いそうです。
また、素直に信じ込みやすい特徴もあり、たとえば自分の理想や尊敬する人には献身的で忠実、こうあるべき、こうしなければならない、それが必要と信じ込むと周りが見えなくなるようです。
秀吉が没してから関ヶ原の戦いに至るまでの勇ましい熱意にしても、秀吉や左近、吉継など特定の人にだけ献身的で忠実な性質など、複合的に考えると納得できます。
秀吉のために泥をかぶって矢面に立たされることもいとわない忠義や、左近を召し抱える時の逸話、吉継のために見せた茶会での男気など、三成の献身ぶりは相当なものです。
家康を討とうと決めたのも策略的な思惑や狙いはなく、おそらく「家康を倒せば何かが変わる!」といった漠然とした衝動からくる反動だったように思えます。
相手は実質的にナンバー1の徳川家康。オーバーにいえば、どんな相手を敵に回しているのか眼中になかったんです。今すべきことを一心不乱に行動へ移しただけ。
これは三成にとって無理難題な挑戦ではなく、「自分にはできる」と信じた結果の行動だったと言えます。三成が常人なら"長い物には巻かれて"いたでしょうね。
関ヶ原の後に武将らが世間話で豊臣時代を振り返ったとき、仲が悪かったと言われている福島正則でさえ「豊臣家の誠の忠臣は三成であった」と感服した逸話があり、三成の"狂気"を物語っています。
石田三成はアスペルガー症候群だったのか?
画像:マンガ日本史「石田三成」(朝日新聞出版)
主に、社会性・コミュニケーション・想像力の3つの領域において障害が目立つとされるアスペルガー症候群ですが、三成がアスペルガー症候群だったのか定かではありません。
今回は、あくまでも検証であり、仮説としてご理解ください。
几帳面で生真面目、世渡りが下手で仲間はずれになりがち、不器用で調和が上手く取れずに周囲から何かと誤解されやすい性格がアスペルガー症候群によるものだとしたら納得できる点も多いです。
とはいえ、功績や結果につながる行動を見る限り、才覚に秀で、忠義を尽くした有能な武将であったことは間違いありません。
また、秀吉が決めたことには是非を問わず従い、善し悪し関係なく強引にでも推し進め、組織の中で浮いた存在になっていたのも確かでしょう。
でもそれが正しいことと信じ、ひたむきに一生懸命に生きていただけなのかもしれませんね。