稲富祐直(鉄砲隊)
画像:稲富祐直 ©2010-2011 SQUARE ENIX
祖父の稲富直時が46歳のとき(1554年)、鉄砲の名人として知れ渡っていた佐々木義国から鉄砲術を学び、孫にあたる稲富祐直は祖父の鉄砲術にオリジナルの術と工夫を加えて「稲富流砲術」を編み出しました。
生没 | 1552年生まれ 1611年死去 |
出身 | 美濃国可児郡(岐阜県) |
主君 | 一色義道から一色満信、細川忠興から松平忠吉、最後は徳川義直 |
親族 | 父:稲富直秀 息子:稲富直重 |
特徴 | 天下の鉄砲使い 稲富流砲術 細川ガラシャ 細川忠興 |
祐直は建部山城の城主・一色義道に仕え、一色家は足利義昭から丹後(京都府北部)を与えられていた幕府の配下でしたが、義昭が信長と対立すると、一色家も織田家と敵対することになります。
1578年に明智光秀の部隊が京都へ侵攻し、1579年には建部山城が落城。その後、主君の一色義道が自害。一色家を継いだ一色満信に稲富家の居城である弓木城を譲り渡し、満信が次の主君となりました。
やがて弓木城にも織田軍の細川藤孝(のちの細川幽斎)が部隊を率いて攻め・・・(続きはコチラ)
鈴木孫一(鉄砲隊)
画像:雑賀孫一 ©コーエーテクモゲームス
戦国時代、「雑賀衆が仲間なら勝ち、敵にすれば負ける」と噂されるほど強豪だった集団の棟梁が鈴木孫一。本名は鈴木重秀で、孫一という名は雑賀衆の棟梁が代々受け継ぐ名前でした。
生没 | 不詳 |
出身 | 不詳 |
主君 | 基本的に主君はおらず、信長に降伏したのち、豊臣秀吉に仕えた |
親族 | 不詳 |
特徴 | 雑賀衆の棟梁 鉄砲の名手 石山本願寺 織田信長 |
どこで生まれ育ち誰が親なのか不明。基本的に主君はおらず、信長が石山本願寺と対立した際には一揆衆の一員として雑賀衆も織田家に敵対し、得意の鉄砲隊で信長を苦しめています。
鉄砲の腕前のみならず製造の技術も優れており、「雑賀衆が相手なら厄介だ」と言わしめるほどの集団だったようです。孫一が愛用した鉄砲は「愛山護法」と呼ばれ、当時としては最新の火縄銃でスペックも優れていました。
8ミリ~9ミリの口径で、命中率を保つための射程距離は最大で・・・(続きはコチラ)
佐竹義重(鉄砲隊)
画像:佐竹義重の肖像(佐竹史料館)
佐竹氏は源義光を祖とする平安時代から受け継がれてきた名門で、古くから常陸(茨城県)を所領する由緒ある家柄です。佐竹氏18代当主の佐竹義重は、これまでの情勢と一変した戦国時代において何かと苦労しました。
生没 | 1547年生まれ 1612年死去 |
出身 | 常陸国(茨城県) |
主君 | 豊臣秀吉から豊臣秀頼 |
親族 | 父:佐竹義昭 正室:宝寿院 兄:佐竹義尚 息子:佐竹義宣 |
特徴 | 鬼ノ義重 関東一の鉄砲隊 |
腕っぷしが強く、北条家の兵7人を一度に斬り倒したことから「鬼の義重」という異名がつき、武芸だけではなく持ち前の知性で策略家としても名の知れた武将でした。
義重は15歳で家督を継ぎ、上杉謙信と親交を深めて、小田家や武茂家など関東の城を支配下に治めていました。しかし、1565年に父の義昭が他界すると、佐竹氏の常陸は反勢力のターゲットになってしまいます。
北からは伊達政宗が敵意を示し、南からは北条氏政がチャンスを狙っている状況で・・・(続きはコチラ)
戦国時代で絶対にスカウトしたい「先鋒隊・鉄砲隊」編
画像:岡崎城にて武将隊の本多忠勝と撮影
さて今回は、数多くの武将の中から先鋒隊と鉄砲隊にスカウトしたい人物6人を選抜して紹介しました。次回は、「水軍」「策士(戦略)」「参謀」にスカウトしたい武将をピックアップして紹介したいと思います。
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