戦国時代と言えば、やはり男たちが雌雄を決する泥臭い姿がイメージされるでしょう。しかし、現代と同じように女性も生きていたわけで、当然ながら彼女たちにもそれぞれの人生がありました。
そこで、この記事では男に負けず劣らず波乱の生涯を送った戦国の女性を紹介していきます。
「お市」夫を失う悲劇に見舞われつつも気丈に生きた
戦国の女性でもトップクラスの知名度を誇り、創作などでもたびたび取り上げられるのがこのお市という女性でしょう。彼女は織田家と浅井家の友好を目的に、浅井家当主である浅井長政に嫁入りしました。
長政との夫婦仲は良好であったと伝わっており、政略結婚ながらおしどり夫婦の一面もあったようです。しかし、信長が浅井氏と同盟関係にあった朝倉氏を攻めたことで両者の関係は破綻し、お市は浅井家に取り残されることとなりました。
それでも夫婦仲にひびは入らなかったようで、関係の破綻後もお市は浅井の勢力下にとどまり続けました。ところが、肝心の浅井家も姉川の戦いで敗北してしまい、お市は長政の死を見送る形となってしまいました。
その後は、信長の処置もあってしばらく織田の勢力下で平穏な暮らしをすることになりましたが、信長死後に有力な家臣であった柴田勝家と再婚しました。しかし、勝家と羽柴秀吉が対立してしまい、さらに勝家が秀吉に敗れたため、お市も夫の自害に伴って同じ道を選びました。
美人であったとも伝わるお市は、その悲運も関連して後世にて人気を博すことになります。
「細川ガラシャ」類まれなる聡明さと意志の強さを持った女性
続いて紹介するのは、戦国の女性としてはトップクラスの「意志の強さ」をもっていた細川ガラシャという女性です。もともと明智光秀の娘として生まれたガラシャは、やがて光秀の盟友である細川藤孝との関係を強化するべく、細川家の次期当主細川忠興に嫁入りしました。
忠興はガラシャを「偏愛」しており、数々の不可思議なエピソードが残されていますが、ガラシャもそれらを強烈な意志力で跳ね返していきました。光秀の死後も細川家に留まると、忠興の反対をはねつけて強引にキリシタンとなっています。
さらに、彼女の強烈さを最も象徴するのがその最期でしょう。忠興が細川邸を留守にしていると、関ケ原に際して忠興を西軍に引き入れたい石田三成が強引にガラシャを拉致しようと、襲撃をかけてきました。
ここでガラシャは、夫の「敵の手にわたるくらいなら死を選べ」という言付けを忠実に守り、自分の屋敷もろとも爆散して自害しました。まさしく燃え上がるような生涯を歩んだガラシャは、炎の中に消えていったのです。