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妖怪退治の陰陽師「安倍晴明」って何者ですか?

落ち葉を大蛇に変えた清明

ある日、寛朝(真言宗の僧侶)のもとを訪ねたとき、偶然そこに居合わせた若い公家(朝廷に仕える貴族)が「そなたは方術を使えると聞いたが本当か?」と清明を挑発しました。

清明は師匠である忠行の忠告を守り「その話は、また今度」と濁そうとしましたが、しつこく挑発してきます。

「清明よ、本当は方術など使えないんだろ?」
「いえ、使えます」
「噂によると方術は人を呪い殺すこともできると聞いたが本当か?」
「はい、できます」
「そうか。なら、そなたの後ろにいる下人(身分の低い奴隷)を方術で殺してみなさい」
「人を殺めるために方術があるのではありません」
「では、あそこにいるカエルを殺してみなさい」
「カエルであっても無暗に命を奪うなどできませね」
「いちいち口ごたえするな!わしが責任をとるから直ぐにやれ」

観念した清明は庭に出て足元の落ち葉を拾い、何やら呪文を唱え始めました。そして、カエルの上に落ち葉を放るとカエルは跡形もなく消えたそうです。また、一説によると落ち葉が大蛇に変身し、カエルを丸呑みしたとか。

その光景を目撃した公家たちは絶句し、それ以来、清明を恐れたと言われています。

この話を耳にした忠行は大激怒し、「俺が生きているうちは二度と方術を使うな!」と叱りつけたとか。清明が40歳のときに忠行は他界し、その後、清明の名は世間に知れ渡ることになります。

藤原道長と安倍晴明


画像:菊池容斎・著「前賢故実」より藤原道長の挿絵

清明といえば藤原道長との関係は有名です。道長は藤原氏の全盛期を築き、太政大臣に上り詰めた公家の中でも最高幹部にあたる人物。紫式部や鬼退治で有名な源頼光と仲が良く、清明とも親しく交友していました。

道長が藤原氏の実権を握ってトップに立ったのは35歳のとき。道隆や道兼といった権力のある兄たちが病死し、残された道長が跡を継いだわけです。普通なら"運が味方した"という状況。

しかし、当時の人々は運ではなく清明の方術で道隆と道兼が他界したと思っていたようです。

そもそも二人の兄が死んでも、実は道隆の長男・伊周(これちか)が跡継ぎ候補として有力だったのですが、道長は陰謀によって伊周を失脚させ、まんまと藤原氏の後を継いだのです。

しかも、誰がどう見ても"陰謀"だと分かるような粗末な手口。ところが伊周は反論することなく太宰府への左遷に従って京を離れています。一説によると、下手に歯向かうと清明の方術で殺されると心配したので素直に身を引いたと言われています。

これが世にいう「長徳の変」です。相次ぐ道隆と道兼の死と、それにまつわる清明が呪い殺したという世間の噂は伊周にとって脅威となり、道長は清明の力を借りて藤原氏のトップになったという逸話ですね。

安倍晴明の伝説・逸話


画像:©2001映画「陰陽師」(東映)

いくら陰陽師が役人だったとはいえ謎多きミステリアスな職業ゆえに、清明にまつわる伝説や逸話が数多く残されています。ここでは、その一部を簡単に紹介しますが、なかなか強烈なエピソードばかりですよ。

幼い清明が師匠の忠行と夜道を歩いていると前から人に化けた鬼が歩いてくるのが分かり、その気配を察知した清明は忠行に「鬼が来ますので避けてください」と教えたところ、忠行は幼い清明の能力に脅威を感じたという
参照:今昔物語

清明の母親は和泉国信太の森に住む白狐で、そのため清明には霊力が宿っていた
参照:葛葉伝説

藤原道長が食べようとした瓜に毒が入っていることを見抜き、その瓜を割ってみると中から毒蛇が出てきた
参照:今昔物語

箱のミカン10数個をすべてネズミに変身させた
参照:今昔物語

安倍晴明は12種の式神(十二天将)を操ることができ、「朱雀」や「白虎」、炎をまとった羽がある大蛇「騰虵」や全知全能の老婆「大陰」、十二天将のリーダー「 貴人」など、これらの式神たちに家事や炊事までやらせていた
参照:今昔物語

花山天皇の頭痛の原因を占術で見抜き、頭痛を治した
参照:古事談

鳥に糞を落とされた少将(役人)を見て、実は鳥が式神であることを見抜いて呪いを解いた
参照:宇治拾遺物語

災いをもたらす天狗を陰陽術で封印した
参照:源平盛衰記

映画やマンガで描かれている陰陽師


画像:©2001映画「陰陽師」(東映)

2001年と2003年に公開された野村萬斎が主演の陰陽師や2002年にテレビ放映された稲垣吾郎が主演のドラマ版・陰陽師(1話~10話)など、まさに今回ご紹介したような"魔術的"要素を盛り込んだ安倍晴明が描かれています。

また、2015年に一夜限りのスペシャルドラマとして放送された陰陽師では、市川染五郎が安倍晴明を演じていました。このように、1000年以上の時を経ても今なお語り継がれている安倍晴明。

いかに神秘的でミステリアスな人物であったか分かりますよね。京都市には清明を祀る「晴明神社」がありますが、興味のある方は一度、観光がてら足を運んでみてはいかがでしょうか。

<晴明神社>
晴明神社は平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社です。創建は寛弘4(1007)年。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、その御霊(みたま)を鎮めるために晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。(晴明神社ホームページより参照)
京都府京都市上京区掘川通一条上ル晴明町806

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