愛知・岐阜で「織田信長」ゆかりの史跡を訪ねる
画像:織田信長の肖像(長興寺)
尾張(名古屋)で生まれた織田信長は、愛知から岐阜、三重から兵庫へ領土を拡大し、天下統一が現実味を帯びてきた矢先、明智光秀の謀反によって自害に追い込まれ京都の本能寺で没しました。
信長に関する史跡は今も各地に点在しており、滋賀なら安土城跡や姉川古戦場、京都には旧本能寺跡や旧二条城跡など歴史的な史跡が残っています。そのなかでも、とくに信長に所縁のある地といえば愛知、岐阜。
そこで今回は、愛知・岐阜に点在する信長と所縁の深い史跡をエピソードにあわせて紹介したいと思います。観光の際は、ぜひ一度、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
誕生から幼少期
画像:那古野城跡(愛知県名古屋市中区二の丸1)
■那古野城跡(なごやじょう)
尾張国愛知郡那古野(愛知県名古屋市中区)の「那古野城」で信長は産まれ、父は信秀、母は土田御前(どたごぜん)。1560年代に廃城となり、1609年に徳川家康が名古屋城を建てました。
そもそも那古野城は今川氏親(今川義元の父)が建てた城ですが、1532年に信秀が氏親を尾張から追放し、織田家の居城となりました。現在は、名古屋城二の丸に信長生誕の地として那古野城跡の石碑が残されています。
■ 古渡城跡(ふるわたりじょう)
画像:古渡城(愛知県名古屋市中区橘2丁目)
古渡城は信長が元服(古来の成人式)をした場所と言われており、信長に所縁の深い史跡の一つです。1534年に信秀が建てた城で、信長に那古野城を譲ると信秀が居城としました。
1548年に廃城となり、現在は東別院(真宗大谷派名古屋別院)になっていますが、敷地内には古渡城跡の石碑が残っています。東別院は名古屋テレビ塔の近くなので見つけやすいですね。
■万松寺(ばんしょうじ)
画像:万松寺(愛知県名古屋市中区大須3丁目29-12)
万松寺は信長の「うつけ者」伝説が語り継がれており、470年以上の歴史をもつ由緒ある寺です。1551年、信秀の葬儀が行われた際、葬儀の最中に「信長が信秀の位牌に抹香を投げ付けた」という逸話が残っています。
信長の奇行に驚いた参列者や家臣たちは、「尾張の大うつけだな」と失笑したとか。万松寺は大須商店街の中に建っており、歴史的な観光名所として多くの参拝者が足を運んでいます。
天下統一の出発点
■清洲城(きよすじょう)
天下取りの足がかりとなった1560年「桶狭間の戦い」。わずか3千足らずの兵力で2万5千の今川軍に勝利したと言われる伝説的な合戦です。桶狭間に出陣した城が信長の居城「清洲城」でした。
その後、美濃(岐阜県)統一に向けて、1563年に住まいを小牧城へと移します。本能寺の変で信長と信忠が亡きあと、後継者には信長の孫(信忠の長男)である秀信に決定。このとき清洲城で行われた話し合いが「清洲会議」です。
信長が那古野城から移って大改修を加え、およそ10年間居城としました。1562年には信長と家康が結んだ同盟も清洲城が舞台(清洲同盟)。1563年に斎藤龍興(斎藤道三の孫)との戦に備えて小牧城に移ったのです。
住所:愛知県清須市朝日城屋敷1丁目1
09:00~16:15まで開城(月曜定休・12月29日~12月31日)
大人 300円・子供 300円(駐車場:無料)
この記事へのコメントはありません。