龍馬に対する幕末の偉人たちの評価
画像:著・勝海舟「氷川清話」(弘前市立弘前図書館)
龍馬と同じ時代を生き、幕末を共に駆け抜けた偉人たちは、どのように龍馬を評価していたのでしょうか。
西郷 隆盛
天下に有志あり、余多く之と交わる。
然れども度量の大、龍馬に如くもの未だ嘗て之を見ず。
龍馬の度量や到底測るべからず。
(西郷隆盛が勝海舟に宛てた手紙の一文)
志をもった男は世の中に大勢いるし、そんな連中と私は多く付き合ってきた。だが、こんなに度量の大きい男は龍馬のほかに会ったことがない。龍馬の度量は計りきれるものではない。
由利公正
小楠の邸宅は私の家と足羽川を隔てゝ対い合って居た。或日、親戚の招宴でおそく帰った処、夜半に大声で戸を叩く者がある。出て見ると、小楠が坂本と一緒に小舟に棹して来た。
そこで三人が炉を抱えて飲み始めたが、坂本が愉快極って『君が為捨てる命は惜しまねど心にかゝる国の行末』という歌を謡ったが、其の声調が頗る妙であった。翌朝、坂本は勝と大久保に会いに行くという事で江戸に向かった
参考:「由利実話」(由利公立伝-第二篇)
「君が為捨てる命は惜しまねど心にかゝる国の行末」
国を良くするために命を落とすことは何も怖くもないし、惜しくもない。だが、このままでは日本がどうなってしまうのか、それだけが気がかりである。
陸奥宗光
坂本は近世史上の一大傑物にして、其の融通変化の才に富める、其の識見議論の高き、其の他人を誘説感得するの能に富める、同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき。
参考:陸奥宗光伯「後藤伯」
坂本龍馬は今までに例をみない、ずば抜けた才覚の持ち主で、臨機応変だし、物事の本質をとらえ議論する力があり、他を説得する能力に富んだ男だ。と同時に用心深さもある。坂本の右に出る者はいない。
勝海舟
土州では坂本と岩崎弥太郎、熊本では横井と元田だろう。坂本龍馬はおれを殺しに来た奴だが、なかなかの人物さ。その時おれは笑って受けたが、沈着いてな、なんとなく冒しがたい威権があって、よい男だったよ
参考:氷川清話「土佐と肥後」
龍馬が俺を殺しに来たとき俺は笑って受け流したが、落ち着いていて妙な説得力をもっていて、なかなか見どころのある男だったよ
板垣退助
豪放不埒、是れ龍馬の特質なり。到底吏人たるべからず。龍馬もし不惑の寿を得たらんには、恐らく薩の五代才助、土の岩崎弥太郎たるべけん
参考:「坂本龍馬」千頭清臣・著
ザックリ言うと、「こうして今の私があるのは坂本さん、あなたのおかげだ」といった感じ。文献や記録を見ると龍馬と板垣が親密な関係だったという印象はありませんが、お世辞だとしても少なからず板垣の心中に龍馬を偲ぶ気持ちはあったのだと思います。
土方久元
維新の豪傑としては、余は西郷、高杉、坂本の三士を挙ぐべし。三士共に其の言行頗る意表に出で、時として大いに馬鹿らしき事を演じたれど、又実に非凡の思想を有し、之を断行し得たりし
参考:評伝松方正義・土方久元
維新の立役者として私は西郷隆盛、高杉晋作、坂本龍馬の3人を挙げる。いずれも意表をつく言動をみせたりして、ときに大胆なことをしたけれど、凡人には無い考えをもっていて、それに伴う行動力もあった
大久保一翁
龍馬は土佐随一の英雄、謂わば大西郷の抜目なき男なり
参考:「坂本龍馬」千頭清臣・著
西郷隆盛と同じような度量の大きさをもっているが、龍馬は西郷よりも用心深く抜け目がない
記録より記憶ということで
画像:坂本龍馬(国立国会図書館)
いくつか幕末の偉人たちの言葉を紹介しましたが、龍馬の評価が低かったとは思えませんね。お世辞もあるかもしれませんが、「実際の歴史上の役割や意味が大きくない」とバッサリ切り捨てる人物ではないとも思えてきます。
この先、教科書から坂本龍馬や吉田松陰など、今まで当たり前だと思っていた人物が後世の人にとっては「誰?それ?」みたいなことになると想像したらゾッとしてきます・・・。
まさか桶狭間の戦いまで教科書から削られるとは・・・。そのうち「不確定だから」なんて理由で「本能寺の変」とか「大化の改新」とか候補に挙がる日がきたりして。
本能寺の変は言わずと知れた謎だらけの出来事ですし、大化の改新にいたっては大昔の人が「日本書紀」を整理するときに書き換えた可能性があるなんて言われていますしね。
龍馬や松陰、信玄や謙信など偉人たちが教科書から消えても、人々の記憶から消えてしまわないことを願うばかりです。
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