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明智光秀だけじゃない!仲間の"裏切り"に苦労した織田信長の生涯(前編)

浅井長政の裏切り


画像:浅井長政の肖像(高野山持明院)

1570年、足利義昭の将軍返り咲きに貢献した信長は朝倉義景に上洛(京都に顔を出しなさい)を催促しますが、これを何度も無視した朝倉氏に怒り、ついに信長は兵を挙げて義景の討伐を決定します。

この出来事は長政にとって不運な事件でした。なぜなら、信長と同盟を結ぶ際に「朝倉氏とは戦わないでね」という条件を付けていたのです。しかし、信長は徳川家康と共に朝倉氏の城攻めを開始しました。

浅井家と朝倉家は親交が深く、恩義がある義景を討つなど考えたくない長政。かといって、同盟国である信長に敵対するのも・・・。そんな中、長政の背中を押したのは父の久政でした。

悩みまくった結果、長政が選んだのは朝倉家。織田軍は浅井軍の急襲によって大幅に兵を削られて戦闘不能となり、信長はギリギリのところで近江から脱出しました。(金ヶ崎の退き口)こうして同盟は解消。

同年の6月、再び姉川で信長は長政・義景の連合軍と戦い、織田・徳川の連合軍が勝利。長政・義景は信長に敵対心をもつ本願寺や延暦寺と手を結び、信長へ反撃を開始。

織田軍は森可成や織田信治(信長の弟)を討ち取られ、窮地に追いやられた信長は義昭に仲介を頼み、朝廷の関白・二条晴良の采配によって浅井・朝倉との和睦が成立します。

とはいえイライラが治まらない信長は脅威であった延暦寺を1571年に焼き討ち、近江の領土を没収しました。さらに、勢いづいた信長は1572年に長政の討伐を決定。

ピンチになった長政は義景に救援を頼み、2万の援軍を得て織田軍を迎え撃ちます。この頃、義昭が信長包囲網を発動し(信長と仲が悪くなったから)、信玄に浅井・朝倉の救援を命じました。

浅井・朝倉が信玄から要求された役割は「信長を岐阜に戻さないよう足止めすること」でしたが、信長は3万の軍を率いて北近江に攻め込み、一乗谷の戦いで朝倉氏を滅ぼします。

次に信長は長政の居城である小谷城に進軍しましたが、信長は秀吉と不破光治を交渉役として城に送り込んで長政に降伏を促しました。しかし、長政は頑なに拒み、父・久政が自害すると、翌日28日に長政も自害。

一連の流れを見ると、長政の苦悩を考えたとき、単に裏切りの一言では片づけられませんが、信長にとっては「裏切られた」という想いがあったのではないでしょうか。

さて、後編では信長を「二度も裏切った男」「謀反を起こしたあげく黒田官兵衛を監禁した武将」、そして、戦国史において裏切者の代表と言っても過言ではない「明智光秀」についてお話ししたいと思います。

後編はこちら↓
明智光秀だけじゃない!仲間の"裏切り"に苦労した織田信長の生涯(後編)

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