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生涯で負けた合戦は○回だけ!知恵の武将「武田信玄」のルーツを探る

  父親の思い違い


画像:武田信玄公之銅像(甲府駅南口前)

幼少や少年時代の信玄は内向的で、喧嘩や武術よりも文学や書物を好むインドア派。そのため、

長男が病死し、次男の信玄が事実上、武田家の長男でしたから・・・。信虎には知的な信玄が弱々しく見えていたようで、そのことが原因でお家騒動に発展してしまいますし・・・。

しかし、信玄は幼いときから武将の心構えが備わっており、すでに武田家を守るという自覚が芽生えていました。兵法を熟読して戦術や戦略を学び、身の回りで起こる出来事であっても知識の種。

つねにアンテナを張り、「どうすれば・・」「どんな方法なら・・・」と思慮深い慎重な性格だったと言えます。山積みの貝殻から戦術を導き出す思考も、信玄の知性を物語るエピソードの一つ。

信虎や三男の信繫なら、貝殻を数えるなんて無駄な時間。おそらく、戦術など考えつかないでしょう。「信玄は武将に向いていない」というのは、武闘派しか信じない父親の思い違いだったのです。

信玄は数々の合戦で巧みな戦術を用い、秀でたプランで次々と勝利をおさめていきます。武田の騎馬隊や赤備えなど、信玄を象徴する精鋭部隊。向かうところ敵なしで“甲斐の虎”と恐れられました。

また、信玄の知性は戦だけではなく、築城や土木工事においても優れた能力を発揮しています。

信玄堤を用いた治水工事は川の氾濫を防ぎ農業の発展に貢献し、当時の技術では難しいと思われた問題も知恵を絞って解決。今でも山梨では「お館様(おやかたさま)」の愛称で親しまれているんです。

さらに、スムーズに兵隊を動かせるように「棒道」と呼ばれる軍用道路も開拓。興味深いエピソードとして、「三分一湧水」も信玄が関係していると囁かれています。

  三分一湧水の伝説


画像:三分一湧水公園(北杜市-商工課)

八ヶ岳の麓に住む村人は農作や生活用水に山から流れてくる湧水を使用していました。ところが、この水の利用権をめぐって3つの村が争ってしまいます。

信玄は湧水が流れ込む地点に三角の石柱を立て、三方向へ均等に水が流れるように用水路を三本つくりました。その水は「三分一湧水」と呼ばれ、現在も活用されています。

あくまでも、これは伝説であり、江戸時代に出来たという説や昭和になってからの話など、三分一湧水と信玄の関係を示す記録は残されていません。ちなみに、日本名水百選に指定されています。

真実は定かではありませんが、伝説としてウワサされるくらい信玄が山梨に与えた影響は大きかったということです。「きっと“お館様”が解決してくれたのよ」と期待が込められた伝説なんでしょうね。

<棒道>
住所:山梨県韮崎市穴山町~北杜市須玉町を繋ぐ道

<三分一湧水公園>
住所:山梨県北杜市長坂町小荒間292番地1

さて、信玄の知性が垣間見えるエピソードを紹介しましたが、知将や名将と呼ばれる意味がお分かりいただけたはず。歴史上の人物は人間性や育った環境にも着目すると、また違った楽しみ方ができます。

ぜひ、参考にしてみてはいかがでしょうか。

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