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「絶対は絶対にない!」人生の教訓にしたい戦国武将の名言8つ

  黒田官兵衛 「その職に~」

画像:黒田孝高之絵巻「如水居士」(崇福寺蔵)

大河ドラマの題材にもなり、秀吉の天下統一を支えた人物といえば黒田官兵衛(黒田孝高)を忘れることはできません。「秀吉の陰に官兵衛あり」と言わしめたほどの立役者。

その証拠に、こんなエピソードがあります。ふざけ半分で秀吉が家来たちに「俺が死んだら次に天下をとるのは誰だと思う?」と質問しました。

前田利家や家康など有力大名の名が挙がりましたが、秀吉は「天下が取れるのは官兵衛だ」と答えたそうです。家来たちは「官兵衛のような弱小大名が家康には勝てないでしょう」と聞きました。

すると秀吉は、「過去の合戦で優柔不断になったり策が尽きると必ず道を切り開いたのは官兵衛だ。あいつは意思が強くて物事を注意深く観察し、賢いうえに結論を出すまでが早い」と言い放ったとか。

そして、「天下に愛される男になるだろう。あいつが10年先に生まれていなくて良かった」と話したとか。いかに官兵衛という男が秀吉の右腕として活躍していたかがわかる逸話ですね。

そんな官兵衛の名言は、

その職に相応しくない者は処分したりするが、よく考えてみると、その役を与えた主が目利き違いなのだから、主の罪は役に立たない部下よりも重い

上司の弱点を指摘してはならない

その仕事を部下が達成できなかった=任せた上司の目利き違いという意味があり、部下よりも上司のほうが責任は重い、そういった戒めの言葉です。そして、次は部下に対する言葉。

上司の弱点に気づいたら指摘するのではなく、その弱点を部下が補うことで信頼関係が生まれ、やがては功績として認められるという意味。縁の下の力持ちとして生きた官兵衛ならではの名言です。

  長宗我部盛親 「一芸に~」


画像:太平記英勇伝72「長曽我部宮内少輔元親」( 落合芳幾作-東京都立図書館 )

四国の覇者として戦国に名を轟かせた長宗我部元親。勇猛な武将で腕っぷしの強さが目立つ元親ですが、米の収穫量に悩まされていた四国を木材を用いた商売で地元産業を活性させた一面もあります。

そして、親子代々で豊臣家に忠義を尽くし、また、部下想いの武将でもあったそうです。秀吉が催した茶会に招待され参加したとき、元親は「饅頭」を秀吉からもらいます。

ところが、元親は一口だけ食べて持ち帰ろうとしました。それを見た秀吉は、「口に合わんかったか?」と聞きます。すると元親は、こう答えました。

「殿から頂戴した縁起の良い饅頭を一人で食べるのはもったいない。部下にも食べさせたいので持って帰ります」と言い、秀吉は元親の人間性を称え、この話を家伝の記録に残したと言われています。

そんな元親の名言は、

一芸に熟達せよ。多芸を欲張るものは巧みならず

槍・刀・弓・馬など武士が習得すべき技は多いですが、あれこれ身につけようとしても中途半端になってしまうし、一つの技を磨いた者のほうが洗練されて強くなる、そういう意味。

幼少の頃は色白で大人しく、内向的な性格から「姫若子」と可愛らしいニックネームをつけられ小バカにされていた元親。それが、四国統一を成し遂げる武将にまで成長します。

継続は力なりということわざの通り徹底的に一芸を磨き、強くなるための修練に励みました。気配りの秀吉しかり、我慢を重ねた家康しかり、歴史に名を残す武将は努力家なのです。

  真田信繁 「いざとなれば~」


画像:真田左衛門幸村(月岡芳年作-演劇博物館)

通称、真田幸村。真田家の次男として生まれ、兄は信之。関ヶ原の戦いでは父の昌幸と共に戦い、わずか3500人の兵で徳川秀忠が率いる3万8千の軍隊に大勝利をおさめました(上田城の戦い)。

また、信繁を語るうえで伝説になっているのが大阪夏の陣。大河ドラマ「真田丸」のラストシーンにもなっていますが、敵方の武将に「真田日本一の兵(つわもの)」とまで言わせるほどの猛将ぶりでした。

五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門仕かかり候て、御陣衆追いちらし、討ち捕り申し候。
御陣衆、三里ほどずつ逃げ候衆は、皆みな生き残られ候。三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由。徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候

参考:薩摩旧記雑録

大坂夏の陣における「天王寺の戦い」で信繫は、圧倒的に不利な状況に置かれながらも三度にわたって突撃を繰り返し、ついに家康が待ち構える本陣に迫ります。

家康を至近距離まで追い詰めましたが、最期は敵兵に討たれ戦死しました。その勇姿を見た敵方の武将が、「信繫は日本一の武将だった」と称え、手紙に記して真田の家族に送ったそうです。

そんな信繫の名言は、

いざとなれば損得を度外視できる、その性根。
世の中に、それを持つ人間ほど怖い相手はない

まさに信繫の生涯を物語った言葉。損得勘定に縛られず、つねに正しいと自分が信じた道を突っ走ってきた信繫。権力や金よりも、最後は「損得を度外視する根性をもった奴が一番強い」という意味です。

人間は損得勘定に流されやすく、利益を優先する過程で保守的な考え方が生まれ臆病になりがち。ときには、損得を抜きにして物事を考えることも大切なのかもしれませんね。

名言は偉人が遺した足跡


画像:大阪夏の陣立体絵巻(浜松美術館)

さて今回は、8人の戦国武将に焦点を当て、名言をご紹介しました。どの言葉も感慨深く、さすが戦国時代を生き抜いた男たちのメッセージ。言葉の重みが違いますよね。

そして、名言は偉人が遺した足跡であり、そこから様々な教訓を学ぶことができます。たとえば、迷ったときや挫けそうになったときなど、道を切り開くヒントにしてみてはいかがでしょうか。

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