注目の記事ピックアップ!

数奇な運命を生きた細川ガラシャの美学~父は光秀、夫は忠興、そしてキリスト教との出会い~

戦国の世に散ったガラシャ


画像:細川忠興とガラシャの銅像(勝竜寺城公園)

やがて時は流れ、秀吉の死後、またもや事件が起こる。1600年、関ケ原の合戦である。徳川家康と石田三成が権力を巡って衝突を始め、関ヶ原での合戦が行われようとして矢先、悲劇がガラシャを襲う。

このときガラシャは37歳で、夫の忠興は家康が率いる東軍に加勢していた。忠興は勇猛果敢で短気なうえ、腕っぷしも強く三成にとっては手ごわい相手。

そこで三成は妻のガラシャを人質にして忠興を合戦に参加させないように企んだ。忠興の不在を見計らい三成はガラシャを人質にしようと誘拐を試みたが、ガラシャは激しくこれを拒絶する。

説得に応じない彼女に痺れをきらせた三成は、ついに力任せにガラシャを連れ出そうと屋敷の周りを包囲した。「これで出てくるだろう」と三成は思ったが、意外な結末を迎える。

ガラシャは出てくるどころか、死を選び、屋敷の中で命を絶つ。人質になって忠興に迷惑をかけるくらいなら潔く死んだほうがマシだ、と。

この時、ガラシャが残した言葉が「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ 」である。

すでにガラシャはキリスト教の洗礼を受けていたので自害できなかった。キリストの教えでは自分で命を絶つこと(自殺)は許されないからだ。

ガラシャは忠興の家来であった小笠原秀清に自分の胸を槍で貫かせ、この世を去った。

「花も人も散る時を心得てこそ美しさを残すことができる」そんな意味がある。戦国という時代に翻弄されながらも強くたくましく生きた女性の一人。

ページ:
1

2

3
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. なぜ豊臣家は滅びたのか?戦国時代の終末期「豊臣政権の崩壊」と「関ケ原の戦い」 Vol.6

  2. 明治維新に命を懸けた「西郷隆盛」最後の戦い「西南戦争」とは?【前編】

  3. 愛・正義・硬派、上杉家に尽くした忠義の武将「直江兼続」の生涯とは?(後編)

  4. ビジネスマンや起業家が知っておきたい!ヤル気を奮い立たせる坂本龍馬の名言

  5. 乱世を生きたのは男だけじゃない!波乱の生涯を送った戦国の女性4選!

  6. なぜ豊臣家は滅びたのか?戦国時代の終末期「豊臣政権の崩壊」と「関ケ原の戦い」 Vol.7

  7. 【加賀百万石】前田利家の生涯と徳川家康の関係

  8. 坂本龍馬はフリーメイソンだったのか?グラバーや勝海舟との出会い、龍馬暗殺との関係(前編)

  9. 織田信長の死に隠された10の謎。戦国史もっともミステリアスな「本能寺の変」の真実(後編)

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

週間人気記事ランキング

  1. 登録されている記事はございません。

全体人気記事ランキング

おすすめ記事

PAGE TOP