嘘か真か、江戸・明治の"おもしろ"珍雑学<グルメ編>
「へぇ~、そうなんだ」と思わず関心してしまう雑学ネタ。しかし雑学は、逸話や風説も入り混じっていて信ぴょう性に欠けるのも確か。今回は、そんな難しいこと考えず気楽に珍雑学を楽しみましょう。
だから、あえて「嘘か真か」って、ちゃっかり前置きしているわけで・・・(笑)
今回は江戸時代や明治時代の偉人たちが通ったお店やグルメにまつわる雑学を紹介したいと思います。
壺形最中(壺屋総本店)
画像:壺形最中(壺屋総本店)
明治時代が到来し、江戸の和菓子屋は相次いで店を閉めました。理由は簡単。徳川家が滅びて後ろめたさを感じたから。それほど徳川家は和菓子屋と深いつながりがあったんですよ。
さらに、新しく薩摩や長州らに売ったら徳川に申し訳ないという想いもあったとか。「壺屋」も、その一つでした。閉店して店の中を店主が片付けていると、ひいきにしていた勝海舟が訪ねてきました。
「壺屋の主人よ、なんで閉めちまうんだい?みんながお前さんとこの最中を食べたがっている。店を再開してくれよ」
そして壺屋は再開し、海舟は直筆の書を贈りました。現在も店内に飾られています。
その書には「神逸気旺(かみいつにしてきさかん)」と書かれており、現代語に訳すと「神様に拝むよりも自分の気力が大切」という意味合いになります。
壺形最中 180円
東京都文京区本郷3-42-8
ようかん「夜の梅」(とらや)
画像:夜の梅(とらや)
江戸幕府、最後の将軍・徳川慶喜や徳川家茂は和菓子が大好物でした。二人が愛してやまなかった和菓子が「とらやの羊かん」。もちろん、ほかの和菓子も大好きでしたけどね。
どれくらい気に入っていたかというと、家茂が孝明天皇に贈ったほどのマストグルメだったとか。このとき贈ったのが「ようかん夜の梅」。ちなみに、甘いもの好きで知られる家茂は虫歯で歯がボロボロだったらしいですよ。
とらやのようかん「夜の梅」 2,835円
あんぱん(木村屋總本店・銀座)
画像:木村屋の「あんぱん」(木村屋總本店)
あんぱんの発祥で知られる名店。発売当初から通っていたのが山岡鉄舟でした。鉄舟は木村屋の「あんぱん」を明治天皇に献上し、それをきっかけに皇室御用達のグルメになったとか。
鉄舟が明治天皇に「あんぱん」を献上したのは4月4日。この日は今でも「あんぱんの日」としてカレンダーに刻まれているんです。ちなみに、木村屋總本店・銀座の看板「木村屋」という筆書きは鉄舟直筆とのことです。
木村屋のあんぱん(5個入)893円
東京都中央区銀座4-5-7
山本海苔(山本海苔店)
画像:山本海苔店の「食膳の友」
山岡鉄舟といえば「山本海苔」も大のお気に入り。「この味は世の中で一番の味だ」と賞賛したとか。160年以上の歴史がある山本海苔店。江戸、明治、大正、昭和、時代を見続けてきた名店です。
「食膳の友」味附海苔(大缶) 1,080円
東京都中央区日本橋室町1丁目6番3号
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