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織田信長の死に隠された10の謎。戦国史もっともミステリアスな「本能寺の変」の真実(前編)

仮説 信長の遺体を家臣が隠した?


画像:©2016映画「信長協奏曲」(東映)

明智軍が本能寺を襲撃したということは、そこには織田方の護衛や兵の死体もあったはずだ。もし、首を跳ねられた死体もあったとしたら、ある一つの仮説も考えられる。

信長の遺体が見つからなかった、それは信長の”顔”が見つからなかった、ということ。生き残った織田方の兵が信長の首を跳ねて持ち去ったととしたら、どうだろうか。

明智軍に奪われてしまう前に”どこかに隠した”という仮説だ。実際、同じ日に襲撃を受けた織田信忠の首は、織田家の家臣・鎌田新助が持ち去っている。

その後、織田信忠の首の行方は、わかっていない。信長の首も同様に、本能寺にいた坊主あるいは部下が人知れず内密に埋葬したのかもしれない。

明智光秀は、6月3日、4日の2日間にわたり、京都にいた織田家の兵を片っ端から探して殺しており、一部の兵は京都の六条河原で処刑している。

本能寺から10分足らずの場所に阿弥陀寺があるが、「信長公阿弥陀寺由緒之記録」には次のような興味深い事柄が記されている。

阿弥陀寺の住職・清玉上人が、僧侶20人ばかりを連れて本能寺に駆けつけ、敷地の裏の藪の中で織田方の兵が信長の遺体を焼いていたので、事情を話し頼んで骨をもらい受けたとある。

本能寺の坊主のフリをして寺から遺骨を持ち出し、阿弥陀寺にて供養したそうだ。阿弥陀寺には信長と信忠、森乱丸や坊丸、力丸の三兄弟、猪子兵助ら12名の家臣の墓がある。

本堂には信長と信忠の木像も備えられており、本能寺の変と深い関りをもっていると推測できるが、この記録は江戸時代に書かれているため、信ぴょう性に欠ける点は否めない。

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