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なぜ日本は「自衛隊」を創設したのか?自衛隊が誕生するまでの「経緯」と「歴史的な出来事」

自衛隊が創設された背景


画像:東日本大震災での活動内容(JMSDF海上自衛隊HP)

ポツダム宣言の正しい定義は「すべての日本軍が無条件降伏することを日本政府が宣言した」である。そのため、先に述べた「日本政府が無条件で降伏した」という表現は正確ではない。

要するに、アメリカ・イギリス・中国は日本軍と日本政府に要求したのである。

「戦地にいる日本軍を無条件で降伏させない」という日本軍に対する要求を日本政府に要求し、その窓口として「日本政府が認めなさい」という取引だったのである。

終戦後、日本はGHQ(アメリカ・イギリス・オーストラリアで構成された日本を監視する連合軍)の占領下に置かれ、連合軍の最高司令官・マッカーサーと日本政府で話し合いのもと1947年に「日本国憲法」を制定する。

1950年、アメリカとソ連が朝鮮半島で戦争を起こす。これが「朝鮮戦争」である。アメリカ軍は朝鮮半島に向けて日本から出兵した。これまで日本を守っていたアメリカ軍が日本からいなくなる。

こうなると、まだ不安定な状態である日本の治安を守ることができない。

そこで発足したのが自衛隊の元祖となる「警察予備隊」だった。すなわち、アメリカ軍が不在のときに自国を守るために作られた組織が警察予備隊というわけだ。

1951年にGHQは撤退。その後、自国で治安維持を行うことをアメリカから求められ、1954年に「自衛隊」を創設する。 それと同時に「防衛庁」が創設され、2007年には「防衛省」へと昇格した。

画像:国防省の門(WikiMEDIA)

<自衛隊創設の経緯>防衛省・自衛隊の公式ホームページより抜粋

昭和20(1945)年8月14日、日本は「ポツダム宣言」を受諾し、これによりマッカーサー元帥を最高司令官とする連合国最高司令部(以下GHQ)による日本占領統治が始められた。

GHQにより進められた様々な占領政策のなか、マッカーサー元帥は「日本国憲法草案」の作成をGHQ民生局に命じ(昭和21年2月3日)、民生局は9日間で「日本国憲法草案」を作成、マッカーサー元帥の承認を得たのち昭和21年2月13日に日本政府に交付した。

政府はGHQ草案を基礎にした「日本国憲法改正草案」を作成して議会に提出し、所要の審議を経たのち可決成立させ、昭和22年5月3日に「日本国憲法」が施行された。

昭和25(1950)年6月に始まった朝鮮戦争に、日本に駐留する米軍および英連邦諸国軍の中からも朝鮮に派遣されたことから国内治安の維持が手薄となったため、GHQは警察予備隊の創設を日本政府に要求し、政府は昭和25年8月10日、警察予備隊を発足させた。

その後、昭和27(1952)年4月28日に「対日講和条約」並びに「日米安全保障条約」が発効したことにより、我が国は主権を回復した。その3か月後、警察予備隊と海上警備隊とを合体させて保安隊を発足させた。

その後、「日米相互防衛援助協定」を締結して批准(1954.5.1)し、「防衛庁設置法」並びに「自衛隊法」が成立し、昭和29(1954)年7月1日に施行されたことに伴い保安隊を改め陸・海・空自衛隊並びに防衛庁が発足するに至った。

憲法の制約の下でこのような経緯を経て創設された自衛隊は、警察力を補完する実力を持った行政組織の1つであって、武力行使を目的とする軍隊として創設されたものではない。言うまでもなく、憲法に国防や自衛隊についての規定は一切ない。

このような特殊な存在である自衛隊が、創設以来今日まで行ってきた行動を概観し、その実績をベースに、自衛隊とはいったい何なのか、そのうえで憲法および自衛隊を今後どうするのか、ということについて考える素材を提供する。
参考:http://www.mod.go.jp/ (防衛省・自衛隊)

自衛隊の戦力は法律で定められている


画像:部内広報誌-陸上自衛隊員レンジャー課程(陸上自衛隊HP)

1954年の防衛庁の創設とともに同年2月9日に自衛隊に関する法律「自衛隊法」が制定され、日本が保有する戦力について「陸海空軍は戦力を保持しない」という規定が定められている。

自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当るものとする
参考:自衛隊法-第3条

昨今、世間で物議が交わされている憲法9条。これは自衛隊法ではなく、日本国憲法にあたる。

憲法9条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定があり、日本国憲法が制定された理由の一つである「平和主義(三大原則)」に準ずる規定となる。

その1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

その2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
参考:日本国憲法-第9条

つまり憲法9条とは、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めた規定で、平和主義に基づいて「戦闘行為そのものを放棄する」という法律となる。

憲法9条が世間で騒がせている理由は、自民党が憲法9条の改正を求めているからである。どのような改正を求めているかというと、わかりやすく述べると主に次の2点。

1 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」の削除
2 戦争や武力行使は実行しないが自衛権は発動できる
3 国際平和を求めるうえでの制裁には参加できる

3については”国際平和を求めるうえでの制裁”とあり、これは「国連が制裁措置を行う際に参加する」という意味合い。国連と連動して制裁(軍事的行動)をとることもあるかもしれない・・・という見解になる。

もちろん、これは戦力を保持することになるので憲法違反となる。そのため、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という規定の削除を改正案に伴い求めているのである。

この文言を削除しない限り、どんな理由があろうとも軍事的行動はとってはならない。それができるのは憲法9条を改正するか、もしくは自衛隊を廃止するか、の2つしかないのである。

ただし、誤解してはいけないのが、憲法9条は、戦力をもって「戦争に参加したい」「戦争を起こしたい」「戦う権利を得たい」という安易なものではないことは理解しておこう。

改正案に対する意見は賛否両論だ。いずれにしても言えることは、太平洋戦争のような悲劇は二度と生み出してはいけないということ。それだけは忘れてはいけない紛れもない事実だ。


画像:平成29年度-自衛隊音楽まつり(陸上自衛隊HP)

答え合わせ

<問1> 答え・・・ポツダム宣言

アメリカ、イギリス、中華民国(中国)が日本軍に対して「すべての日本軍を撤退」させて「無条件で降伏する」ことを要求し、日本政府が提示された13ヶ条の要求を承諾し、1945年9月2日に日本政府が「無条件降伏を宣言」した出来事は何か。

<問2> 答え・・・陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない

日本が保有する陸海空軍の戦力について「日本国憲法で定められてる規定」は何か。

<問3> 答え・・・自衛隊法

1954年に制定された「自衛隊に関する法律」は何か。

<問4> 答え・・・朝鮮戦争

1950年にアメリカとソ連が「朝鮮半島で始めた戦争」の名称は何か。

<問5> 答え・・・警察予備隊

朝鮮半島で起きたアメリカとソ連の戦争が発端となり、1950年に「国内の治安を維持するために日本が創設した組織」は何か。

<問6> 答え・・・自衛隊

国防を目的とし、1954年に創設した「自国を防衛する隊員で編成された組織」は何か。

<問7> 答え・・・国防庁

自国を防衛する隊員からなる組織が創設されると同時に発足した「政府の行政機関」は何か。

<問8> 答え・・・国防省

問7の行政機関が2007年に昇格したあとの名称は何か。


画像:1stDivision多用途ヘリコプターと陸上自衛隊員(陸上自衛隊HP)

<自衛隊が創設されるまでの経緯>

●1945年9月2日

ポツダム宣言により終戦。降伏文書に調印した

●1947年5月3日

日本国憲法の制定。三大原則の一つとして平和主義の規定が定められた

●1950年7月8日 警察予備隊と海上警備隊を創立

 

●1952年10月15日

警察予備隊は保安隊に、海上警備隊は警備隊となる

●1954年6月9日

保安隊は陸上自衛隊に、警備隊は海上自衛隊となる。新たに航空自衛隊を創設。

●1954年7月1日 防衛庁の創立

●2007年1月9日 防衛庁は防衛省に昇格した

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