明智光秀と坂本龍馬の共通点は「悲劇の家紋」だった?(前編)
画像:明智光秀(本徳寺)坂本龍馬(高知県立民俗歴史資料館)
本能寺の変で主君・織田信長を討ったのち豊臣秀吉に討たれた明智光秀、大政奉還の1ヶ月後に何者かの手によって近江屋で暗殺された坂本龍馬、この二人の共通点って何だと思います?
それは「家紋」なんです。光秀も龍馬も「桔梗(キキョウ)」をモチーフにした「桔梗紋」ですが、二人ともよろしくない末路や最期だったので‟悲劇の家紋”と囁かれるようになったんですね。
ちなみに加藤清正や足利将軍時代の江戸城を建築した太田道灌、長州藩の医師であり上野戦争で手腕を発揮した大村益次郎も家紋に桔梗を使っており、やはり三者ともに不運な最期を辿っているようです。
密かに囁かれる桔梗の呪い
画像:月岡芳年・画「平親王相馬将門(平将門)」(国立国会図書館)
はじめに言っておきます。ここでお話する「桔梗紋と桔梗の呪い」についての関連性は一切の根拠がなく、あくまでも都市伝説レベルの推測だと思って読んでもらえると幸いです。
平安時代の中期、平氏と源氏の時代。この頃のお人と言えば平氏の平将門。そして、将門の側室(本妻とは別の妻)として知られる「桔梗姫」。将門にまつわる伝説には桔梗姫も登場するのですが、なかでも有名なのが下総地方と秩父地方に伝わる「桔梗伝説」ではないでしょうか。
結論を言うと、将門は桔梗姫の裏切りによって死に追い込まれたというもの。そのため、将門と桔梗姫の怨念が災いをもたらすとして「桔梗の花」を用いた家紋は好ましくないという歴史ハック的な見解です。
どういった伝説なのか、というと・・・
<平将門伝説にまつわる桔梗の風習>
将門は作戦として自分に見立てた人形を大量に並べ、その中に潜んで奇襲を行おうとしたのですが、桔梗姫が敵方と内通しており作戦をバラしてしまい合戦に負けたとか。
その後、桔梗姫は処刑され、「桔梗の花を植えてはならない」という風習ができ、衣類や生活用品など身の回りのものに「桔梗の模様を用いてはいけない」といった言い伝えが残ったそうです。
<秩父地方に伝わる桔梗の伝説>
桔梗姫は敵の藤原秀郷が送り込んだスパイ。負けが続いていた将門は原因が桔梗姫であることを知り、怒り狂った将門は最後の合戦の場となった城峯山で桔梗姫の首を斬り落とし、自害したと言われています。以降、城峯山には桔梗の花は咲かなくなったとか。
<取手の桔梗塚にまつわる伝説(竜禅寺)>
桔梗姫は大須賀庄司武彦の娘として育ち、将門の側室になったあと三人の子を授かり、将門の戦勝を三仏堂に祈願した帰路で敵方の藤原秀郷に殺害されたとのこと。
桔梗姫は秀郷に内通しており、将門には7人の影武者がいたのですが、本物の将門は「こめかみが動く癖がある」ことを秀郷に教えてしまい、これが原因で将門は討たれた。用済みになった桔梗姫は「口封じ」のために殺されたのだ。
あくまでも言い伝えですが、怨念が残る桔梗姫と将門、その桔梗を用いた家紋を使った者たちの不運な末路、もしかしたら何かつながっているのかもしれません。信じるか信じないかは、あなた次第です!
この記事へのコメントはありません。