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明智光秀と坂本龍馬の共通点は「悲劇の家紋」だった?(後編)

その四. 太田道灌


画像:太田道灌(大慈寺所蔵-国立図書館)

江戸城を建てた人物として知られる太田道灌。享徳の乱や長尾景春の乱で活躍した武将で学術にも秀でており、さらには歌人としても名が知れ文武両道の才をもった有能な人でした。

また、築城の名手とも言われるほど才能にあふれていたようですね。そして、太田道灌も桔梗紋(細桔梗の家紋)を使っていました。これだけの才覚の持ち主でしたから、慕われ、次第に力をもつようになるのは当然。

そうなれば妬みや面白く思わない人が出てくるのも当然。道灌は扇谷上杉家の上杉定正(扇谷定正)に仕えていましたが、主君である定正の手によって殺されてしまいます。

一説によると道灌に対して家中で不満が起こっており、また道灌が上杉顕定(山内顕定)に謀反を企てたから討ったとあり、江戸時代の文献「岩槻巷談」には道灌の暗殺は「北条早雲の陰謀である」といった話も記録されているとか。

道灌は死ぬ間際に「俺が死んだらお前も滅びる(当方滅亡)」という言葉を遺して去りますが、その後、扇谷上杉家は山内上杉家との間で抗争が勃発します。(長享の乱)

定正は足利政氏(2代目・古河公方)を味方につけ、山内上杉氏は越後の上杉氏と組んで戦うわけですが、定正は合戦が始まる以前の問題で川を渡ろうとしたときに落馬して死んでしまうんです。

文献「石川忠総留書」にも「範亭(定正)、川を渡らんとする処に落馬して頓死」と記されており、あっけない最期だったようですね。道灌が死んで8年後のことでした。

その五. 大村益次郎


画像:大村益次郎の肖像画(山口県文書館-国立国会図書館)

長州藩の医師で兵法・兵学に長けていた大村益次郎。戊辰戦争が勃発すると上野戦争を指揮し、わずか1日で占領・鎮圧するという手腕を発揮した人物です。

しかし、益次郎が提唱した「国民皆兵」などの政策が発端となり、不満を抱いた元長州藩士らに益次郎は襲われ即死ではなかったものの重症を負ってしまい、傷口が悪化して敗血症で亡くなりました。

益次郎も丸に桔梗の家紋で、まぎれもなく桔梗紋を使用していた一人です。医師でありながら兵学者でもあり、西洋学者としても内政に尽力し、上野戦争では迅速な解決を図った益次郎。維新十傑の一人に数えられる幕末を代表する偉人ですね。

桔梗紋は悲劇の家紋なのか?

こうやってみると桔梗紋を使っていた人たちはビッグネームな面々ですね。悲劇的な最期を迎えたとはいえ、時代に名を刻み"足跡"を残した人たちであることは言うまでもありません。

果たして彼らの運命が桔梗紋によって悲劇的な最期に書き換えられたのか、数奇な末路をたどる運命だったのか、それは現代科学を結集しても解明できない謎でしょう。

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