敵に塩を送る
画像:上杉謙信之画(上杉神社)
信玄の死を聞いた謙信は喜ばず、「惜しい男を失った」とライバルの死を悲しんで涙を流したという。また、謙信の人柄が分かるエピソードとして、こんな逸話がある。
当時の信玄は謙信ばかりではなく他国の武将との間でも揉め事を起こしていた。その結果、信玄の本拠地である山梨県に一切の「塩」が入ってこなくなるという事態を招いてしう。
対立する国の武将たちが信玄への嫌がらせとして山梨県に対する塩の持ち込みを全ての商人に禁止したのである。山梨県は山に囲まれた土地で、自分たちで塩を作り出すことは不可能だった。
もちろん、地元住民の生活も苦しくなっていく。その事実を知った謙信は、信玄に手紙を書いた。
「塩の取引を邪魔されてお困りと聞いた。そのような手段を取って相手の力を弱めようとするなど武士とは思えないほど情けない奴らですな。そうまでして貴方の力を恐れているのだろう。塩が必要なら私が送ろう」と。
謙信は「敵」とか「戦い」という考えからではなく、単純に山梨で苦しんでいる住民のことを心配したのだ。
戦いは武将が勝手に始めたことであって住民が苦しめられることを残念に思った謙信は、敵である信玄に塩を送ったというエピソード。
これもAB型らしい性格と言える。自分が正しいと思うことを迷わず実行する性格。しかし、一説によると、塩を送ってちゃっかり代金も受け取っていたという話もあり、実際のところ真意は定かではない。
また、謙信は琵琶を弾いたり音楽を聴いたりしながら酒を飲み、蓮歌(俳句)を楽しんで戦とは無縁な一面をもっていた。自分に関係のない争いごとには無関心でマイペースに生きている。
武将という立場でありながら坊さんになろうと出家するが、家来から猛反対されてしまい断念する。謙信の謎めいた人物像は、AB型ならではのミステリアスさを感じさせてくれる。
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