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独眼竜「伊達政宗」は「B型」ならではの独創的で奇抜な行動をとるアイデアマンだった?

大胆な行動で2度も命拾いした

 

画像:白い喪服(キモノ新空間)

気の強かった政宗は秀吉に命令されることを嫌がり、小田原城を攻める時にも出陣の命令を何度か断って引き伸ばしている。さすがにこれは、猿の時と同じようにはいかない。

あまり断り続けると秀吉を敵に回してしまう恐れがあるので、彼は仕方なく小田原へと向かった。秀吉の怒りを和らげるために政宗は面白いことを考えつく。

白い着物を着て小田原に向かった。小田原に到着すると、怒り狂った秀吉が政宗を問いただす。

「おい政宗、今から合戦だというのに何故お前は白い着物を着ているのだ?」

「はい秀吉様、家の事情で小田原への到着が遅れてしまい迷惑をかけたので秀吉様に首を跳ねられてもいいように死ぬ準備をしてきました」

「んっ?その白い着物は喪服ということか?」

「そうです。謝っても許してもらえないと思い、死を覚悟で参りました」

この行動に驚いた秀吉は、「そこまで反省しているなら・・・」と政宗を許したのである。しかし政宗は数年後、またもや秀吉を怒らせてしまう。

 

画像:伊達政宗公之騎馬像(青葉城-本丸会館-仙台コミュニケーション・ビッグバン)

秀吉が天下を統一すると、国内での争いごとが禁止された。ところが、そんな時に限って下手を打ち、揉め事を起こしてしまう。なんとか事態を解決しなければ、そう思った政宗は大胆な行動にでた。

政宗は秀吉が待つ大阪城まで、金の十字架を背負って白い着物姿で町を歩いた。自分は関わっていないと秀吉にアピールしたかったのだ。

「おい政宗、白い喪服は分かった。死を覚悟しているのであろう。だが、金の十字架は何だ?」

「はい秀吉様、おっしゃる通り白い着物は死を覚悟しての衣装です。金の十字架は秀吉様が派手なものを好むと聞いたので、私が首を跳ねられるときも華やかであったほうが良いかと思いました」

「確かに私は派手なものが好きだ。で、争いごとの原因はお前なのか?」

「いえ、違います」

「でも、証拠があるみたいだよ」

「証拠とは後からでも付け足すことのできるものです。そのことについて答弁するために来たのではございません。派手なことがお好きな秀吉様の前で派手に死ぬつもりで金の十字架を背負ってきました」

こうして、一度と言わず、二度目も白い着物で秀吉に許された政宗。その後の「朝鮮出兵」の際には、金色の鎧や赤や黒の兜などを身につけた伊達軍を率いて出陣し、政宗自身も派手な格好で登場するようになった。

その光景を見た者たちは、伊達の兵士や政宗を指差して「伊達者」と呼んだそうだ。現在でも派手な格好や仕草をする人を「伊達男」と呼ぶのは政宗の奇抜な行動が由来しているそうだ。

また、「おだてる」という語源も、政宗がルーツとか。伊達男にお”だて”られた秀吉。伊達メガネも政宗が由来らしい。奇抜なアイデアと発想力、時として大胆な行動で予想もつかないようなミラクルを起こした政宗。

計画性がないので失敗を繰り返してしまうが、持ち前のコミュニケーション能力とアイデアで何とか乗り越えている。B型を象徴するような独創的な生き方が政宗の特徴なのかもしれない。

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