いざ、DATE’Sキッチン!戦国一の料理人「伊達政宗」が愛したグルメとは?
戦国時代は庶民の平均寿命が30歳~35歳だったそうで、武将でも50歳~55歳ほどの寿命。栄養不足や病気、戦死など原因は様々ですが、当時にしては68歳まで長生きした伊達政宗。
そして、一説によると政宗の健康を支えた秘訣の一つが「食」と言われています。食へのこだわりが強く、戦国一のグルメ武将と言っても過言ではありません。
また、政宗は食べるだけではなく、調理も得意だったとか。政宗の料理を食べた徳川家光が「あっぱれ」と認めるほど、なかなかの腕前だったようです。
料理を始めたきっかけ
画像:光秀兵糧丸(大正村-浪漫亭)
合戦が日常茶飯事だった戦国時代。短期決戦もあれば、合戦が長引いて長期決戦になることもあります。そんなとき、戦場で兵士たちを悩ませていた問題が「食料(兵糧)」の調達でした。
”腹が減っては戦はできぬ”という、ことわざもあるくらい戦場で欠かせないのが食料。これは日本に限ったことではなく、古代の将軍や司令官も出征になると「兵糧」の問題で頭を抱えていたんです。
とはいえ、戦国時代は物流の手段がなく、食料の保存方法も今のように技術が発達していないので個人で戦場に持ち運ぶしかありません。万が一、食料が尽きれば撤退ということも・・・。
当然、この時代にレトルトや缶詰なんて便利なものはないし、かといって重荷になるような食料も避けなければならないし、そうなれば無駄に体力を消耗するし、移動も遅くなってしまう・・・。
そのため、兵糧は「持ち運びやすさ」も大切なポイントでした。塩分があって持ち運びの邪魔にならない食品が、戦国時代の兵士たちを支えていたわけです。 合戦が長期化すれば食料不足が兵士たちを襲うので、食料があるうちに決着をつけなければならないし、食べるものがなくなれば合戦を続けるのは不可能だったんですね。
戦国時代に長期戦が起きにくかった理由は、そうした背景も一つ。保存食を制すれば合戦を制すると言っても大げさじゃないくらい、食料と合戦には密接な関係があったと言えるでしょう。
そこで政宗は、兵糧の開発に取り組みます。次第に料理への関心が強くなり、仙台みそや凍み豆腐など現代でも食されている食品を生み出しました。
政宗と仙台味噌
画像:仙台味噌「奥州政宗」(松島お土産.com)
料理心なきはつたなき心なり |
これは政宗が残した言葉で、「料理に関心がない者は心が貧しい」という意味合いになりますが、政宗は日常的に調理場に足を運ぶほど料理愛好家だったそうです。
そんな政宗が開発した料理の一つが、仙台味噌。
奈良時代から味噌は重宝されていましたが戦国時代には兵糧の原料としても用いられました。しかし、夏場には腐りやすいという欠点があり、戦場に出向く兵たちにとっては厄介な問題でした。
そこで政宗は、「夏でも腐らない味噌」の開発に取り組みます。まず、仙台城下の900坪の敷地に御塩噌蔵という醸造所を設け、研究を重ねて仙台味噌の開発に成功。
一説によると、これが日本初の味噌工場とされており、朝鮮出兵の際には他の武将が持参した味噌は劣化したり腐ったりしていたのに、政宗の味噌は劣化せず状態を保っていたそうです。
そうしたこともあり、次第に仙台味噌の評判は広がり、全国的に知られるようになります。江戸時代になると政宗の味噌は正式に「仙台味噌」と名付けられ、江戸の食文化に強い影響をもたらせました。
発酵食品の中でも栄養価が高い味噌。仙台味噌が、政宗の健康を支えた秘訣だったのかもしれませんね。
徳川家光も認めた料理の腕前
伊達氏治家記録(多賀城市教育委員会)
料理が好きなだけでなく、「もてなし」にも気を配っていた政宗。
馳走とは旬の品をさり気なく出し、
主人自ら調理してもてなすことである
仮初にも人に振舞候は料理第一の事なり 何にても其の主の勝手に入らずば悪しき料理など出して 差当り虫気などあらば気遣い千万ならん |
これも政宗の言葉ですが、
もてなしで最も大事なことは心のこもった料理を出すこと。
そして、主人自ら作った料理でなければ意味がない。
ご馳走とは旬の食材で主人自らが調理した料理のこと。
人に作らせて悪い料理を出し、腹でも壊されたら元も子もない。
といった意味合いですが、1630年、徳川3代将軍の家光をもてなす大役が政宗に回ってきます。
政宗は「私が料理して将軍をもてなす」と意気込み、慣れた手つきで包丁を使い、豪華な懐石料理を完成させました。家光は政宗の料理を食べると感激し、料理の腕前を絶賛。
家光は徳川家康の孫であり、徳川家に縁のある政宗を「親父」と慕っていたそうです。
さて、政宗が振る舞った懐石料理は、
- 鮒寿司(ふなずし)
- 鯉・アワビ・カツオ・みる貝の寄せ煮
- 平貝・シャケの塩引き
- 鮎の焼き魚
- 鯛身と卵の煮物
- 煮タコの炒め物
- ケリ(鳥類の一種)の焼き鳥
- かまぼこ
- うり・なす・大根の漬物
- 山椒の煮物、
- 仙台味噌を使った旬の野菜のすまし汁
- 小鮎の吸い物
- 鶴の吸い物色つけ芋
- つるし柿
など
なんとも豪華な料理の数々。それにしても品数が多いですね。
伊達氏治家記録によると、全国各地から旬の食材や珍味を取り寄せ、2回の懐石が催され、膳からデザートまで計54種類ほどあったそうです。
また、政宗は正月になると「おせち料理」もこしらえていたようで、60種類以上の食材を使い、白・黄色・黒・緑・赤の陰陽五行で見栄えや彩りにも気を配っていたとか。
さらに雑煮は、アワビ・ナマコ・ニシン・ごぼう・豆腐・黒豆・角餅の具材を使い、当時では贅沢な雑煮という記録も残っています。