戦国時代にも「おせち料理」を食べた?おせち料理と織田信長の意外な関係
画像:織田信長の肖像(大雲院)
信長公記11巻の冒頭に「節会(せちえ)」という言葉が登場しますが、節会(せちえ)とは「祝いの日に皇居で行われていた儀式」です。戦国時代の皇居といえば、今は観光名所にもなっている京都御所ですね。
節会では"特別な御膳"が振る舞われ、その御前が「おせち料理」になります。節会で食べる料理だから「お節」「料理」というわけです。そして、織田信長と節会には、ちょっとした繋がりがあるんです。
織田信長と節会
戦国時代(安土桃山時代)、天正6年(1578年)以前の皇居は権威が失われ、華やかさを失いつつありました。皇居の庭や建物は古びたままとなっており、天皇や公家(天皇の一族)の暮らしも経済的に困窮していた時代です。
信長が本格的に領土支配を始めると天皇(正親町天皇)との関りも密接になっていき、信長は皇居の修復や改築、石垣の造営などを積極的に行って天皇家の威光を取り戻すために尽力した武将でもあります。
経済的な支援としては、祝い事の度に金や物品を献上する以外にも、特定の地域の支配権(領地)を公家に与えて自主的に収入を得られるよう取り計らって皇居の再生に貢献しました。
皇居の暮らしが困窮していた頃は、当然ながら節会も行われませんでした。しかし、信長が皇居の再生に貢献したことで、長らく行われていなかった節会が天正7年の1月から再び行われるようになったのです。
信長公記によると、「節会の日には公家や大名が集まって根引き松(根が付いたままの飾り松)を皇居に飾り、1月1日の辰の刻(午前9時頃)には神楽歌が奏でられた」と書かれています。
また、「このように長らく途絶えていた皇居の節会が蘇り、信長の時代に生まれた京都の人々は「誠にめでたい」と喜びに満ちていた。そして信長は、鷹狩で捕まえた鶴を正親町天皇に献上した」そうです。
節会とは?
楊洲周延・画「千代田之御表 正月元日之図」(東京都立図書館)
節会とは「節日と呼ばれる祝いの日に天皇が酒や料理を臣下に振る舞う祝いの儀式」で、五節会※や五節句※に行われた皇居の公的な祝事になります。なかでも特別な日が「1月1日」であり、元日には皇居で盛大に節会が行われていました。
※五節会・・・平安時代以降、1年のうち、重要とされた日。
元日・・・1月1日
白馬(あおうま)・・・1月7日
踏歌(とうか)・・・1月14日と1月16日
端午(たんご)・・・5月5日
豊明(とよのあかり)・・・11月19日
※五節句・・・江戸時代以降、1年のうち、重要とされた日。
人日(じんじつ)・・・1月7日
上巳(じょうし)・・・3月3日
端午(たんご)・・・5月5日
七夕(しちせき)・・・7月7日
重陽(ちょうよう)・・・9月9日