忍術は「総合的なサバイバル処世術」であった
我々がイメージする忍術というと、闇夜で活躍する際に必要な知識が詰め込まれたものという発想もあれば、「NARUTO」で知られるような火遁や水遁といった攻撃術の発想もあるでしょう。
結論から言えばおおよそそれらも間違いとは言い切れないのですが、実際に『忍術書』として伝えられている文献に目を通すと、彼らは実に多くの知識に精通していなければならなかったことがよくわかってきます。
上記のような武器や水・火の扱い方は当然として、
- 人から情報を引き出すための交渉・対話術
- 引き出した情報を扱うための記憶・伝達術
- 呪術や医学、食物に対する知識
- 天文学・気象学に関する知識
など、多くのスキルを必要とした役職であったということが分かるでしょう。
実際、江戸時代に苦難の道を歩んだ甲賀衆はその能力を生かして討幕に大きく貢献したとされ、まさしく「忍び」の精神を体得した振舞いを見せました。明治に入ると平民になったようですが、医薬に長けていたことから製薬の部門で成功する企業も多かったようです。
もっとも、先で取り立てられた伊賀衆も平穏が続く時代の中で力を失っていき、甲賀衆も不遇の江戸時代を過ごしたことを考えると、彼らという存在が一番輝くのはやはり「乱世」という時代に他ならないということを象徴しているでしょう。
服装は茶色で、手裏剣などの武具も多くは持たなかった
忍者の外観といえば、何と言っても「黒装束」のイメージがすぐに浮かぶでしょう。実際、闇夜を暗躍するには黒が一番適しているようにも思われますし、忍者を描いた作品を見てもほとんど例外なく黒に準じた服装をしています。
しかし、結論から言ってしまえば忍者の服装は黒色ではありませんでした。その理由は極めて単純明快で、真黒な服装は意外と闇夜でシルエットが目立ってしまうからです。
そのため、実際は茶色系統の服を身にまとうことが多かったとされています。これは夜に適した服装ということもありますが、実際のところは「発見されても極力怪しまれないように」という意図もあったそうです。
そもそも、忍者は「見つからない」ことが仕事なのであって、「我こそは忍者であるぞ!」とアピールして得をすることは万に一つもありません。
そのため、昼間は当然ながら一般の民衆と見分けがつかない服装をしていたとされます。これは近代のスパイと同じですね。
また、忍者は「情報を持ち帰ること」を求められたので、護身用の道具に関しては重量が増えることを嫌って最低限しか持ち運ばなかったとされています。
例えば、忍者を象徴するアイテムの手裏剣も3枚程度持ち運べば多いくらいであったと考えられており、創作のように手裏剣を多量に投げることはありませんでした。