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「信長包囲網」を知らずして戦国時代は語れない!織田信長と足利義昭の”因縁”を振り返る

足利義昭が将軍に返り咲く


画像:©2013「信長の野望 創造」(コーエーテクモゲームス)

義昭の現状を聞いた信長は室町幕府の復活に協力する意向を示し、京都へ向かう。表向きは義昭を将軍に返り咲かせるためだったが、実際は天下統一に向けて本格的に動くきっかけだったと言える。

京都に向かう道中、滋賀を支配する六角承禎の領土であった箕作城を2日で攻め落とし、さらに承禎を観音寺城から追う出すことに成功。仕上げとして、六角家の配下だった近江衆も次々と降伏させた。

滋賀をクリアした信長は琵琶湖を船で渡り大津を通り、1568年9月26日に京都へ入った。信長は東福寺に本陣を置き、勝龍寺城を柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚に攻めさせ、三好長逸を筆頭とする三好三人衆を撃破。

これに乗じて、三好家と対立していた松永久秀が信長のもとを訪れ、家臣となった。翌月には、大阪の池田勝正(池田城)を攻め、降伏させる。

関西を手中に収めた信長は10月14日に京都へ戻り、同月18日、義昭は第15代・征夷大将軍に就任し、足利将軍の座に返り咲いたのだ。義昭は発狂して喜び、信長に副将軍の座を与えると提示した。

しかし信長は、これを断って10月26日に京都を出て岐阜城へと帰る。初めから将軍家の家臣になるつもりなどない信長は、着々と天下取りの準備を進め、戦国の世を駆け抜けていく。

義昭が信長包囲網を発令する


画像:©2013「信長の野望 創造」(コーエーテクモゲームス)

副将軍の申し出を断り、その後も合戦に明け暮れる信長に対し、義昭は疑念を抱き始める。少しずつ二人の間に溝が生まれ、義昭は信長が幕府にとって”危険な存在になる”と考えるようになった。

何故?って、とにかく信長は態度が大きかったから。敬意とか礼儀とか、そんなものとは無縁。そりゃ、そうだ。天下をとることが一番の目的で、将軍に可愛がられるために義昭を助けたわけじゃない。

「信長くん、ちょっと話があるから京都に来てよ」
「義昭さん、今は忙しいから暇ができたら行くよ」

ってな感じで、命令を断るのも日常茶飯事。信長は「俺のおかげで将軍に返り咲けたんだ」と考えるだろうし、義昭は「将軍の言うことを聞かないなんて無礼なやつだ」と思っていただろう。

そして、ついに義昭は信長を排除しようと決意する。信長に気づかれぬように各地の大名や武将に「信長を討て」という命令を出す。これが、世に言う『信長包囲網』である。

包囲網は1570年に開始され、信長は窮地に追い込まれることとなる。

義昭は本願寺の顕如や延暦寺、山梨の武田信玄や新潟の上杉景虎(謙信)、広島の毛利元就・輝元、福井の朝倉義景など力をもつ大名に信長の討伐を命じた。

以降、信長は野田・福島の戦い、石山の合戦、志賀の陣、姉川の戦い、比叡山の焼き討ち、三方ヶ原の戦い、金ヶ崎の戦いなど、幾多の修羅場を味わうことになる。

まさに袋叩きの状態。同盟国の長政が敵になったり家来の松永久秀が裏切って反逆してきたり、あちこちで命を狙われ何度も死にかけて、ギリギリの状態で生き延びていた。

ブチ切れた信長は延暦寺に奇襲をかけ火を放ち、僧侶や農民、女や子供まで残らず抹殺。寺を焼き払い一人残らず殺した延暦寺の焼き討ちは正気の沙汰ではなく、かなり精神的に追い詰められていたことがわかる。

一度は義昭と話し合いで和解するも、すでに始まった戦国の合戦。信長を討とうとする武将たちの勢いは増し、もっとも危険な出来事だったのが武田信玄との対立、三方ヶ原の戦いである。

同盟国の家康が信玄に立ち向かうも簡単に敗北し、いよいよ信長の運命も終わりを迎えようとしていた矢先、信玄が病死する。これにより信長包囲網は弱まり、信長は天下統一の意向を強めた。

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