米の値段が上がって大暴れ!江戸時代「米」にまつわる5つの事件
弥生時代から水耕稲作が全国的に広まり、古墳時代の班田収授法に始まった日本の「米」文化。どんな時代も日本人の食を支えてきたのは間違いなく「米」です。
今では手軽に入手できる米も、昔は命の次に大切なものでした。それゆえに日本史を振り返ると、米にまつわる騒動が頻繁に起きています。
そこで今回は、江戸時代に起きた「米」に関する出来事の中から、世間を騒がせた主な事件5つを確認してみましょう。
享保の打ちこわし
画像:徳川吉宗(徳川記念財団)
打ちこわしとは江戸時代における民衆運動の一つで、不正を働いた者の家屋などを庶民が破壊する行為のこと。または、私財の強奪なども行ったいたようです。
なかでも代表的な打ちこわしが「享保の打ちこわし」。
1732年の夏に米の価格が高騰し、米不足が加速し、飢饉による死者が相次ぎました。
すなわち、享保の大飢饉です。
やがて、飢饉の原因は幕府の不正である(徳川吉宗の指示で米商人の高間伝兵衛が米を買い占めて米の値段を吊り上げている)という噂が立ち、庶民らが暴動を起こしそうになっていました。
幕府は慌てて米を提供しましたが庶民の反発はおさまらず、1733年に伝兵衛の屋敷を1700人の庶民が襲撃し、家財や米俵などを川に投げ入れる事件が発生。
これが江戸時代に起きた最初の打ちこわしと言われています。
この事態を重くみた幕府は、伝兵衛が所有していた米を放出させて米の物価を安定させると同時に、打ちこわしに関わった中心人物を流刑に処したそうです。
天明の打ちこわし
画像:田沼意次(奈良勝林寺)
1787年5月に江戸や大阪など江戸時代の主要都市を中心に計30ヵ所で同時期に大規模な打ちこわしが発生し、翌月に石巻や小田原、宇和島などでも打ちこわしが多発。
これらを総称して「天明の打ちこわし」と言います。
田沼意次の政策によって銭の相場が上がり、さらに、冷害(気温が低く農作物が育たない)や浅間山の大噴火、関東の大洪水などが重なって米不足が続き、全国的に米の価格が異常なまで高騰しました。
すなわち、天明の大飢饉です。
瞬く間に庶民の暮らしは貧困に陥り、最初に発生した大阪での打ちこわしを皮切りに各地の都市へ広がって、江戸時代における最高の打ちこわし件数を記録しています。
なかでも江戸で起きた打ちこわしは幕府の"お膝元"とだけあって深刻な事態に発展し、早急に幕府は具体的な支援策を庶民に公表して混乱を収拾しました。
打ちこわしの要因の一つとして田沼意次の政策が批判を浴び、これによって松平定信が老中に任命され、寛政の改革がスタートすることになったわけです。
定信が行った寛政の改革は"めちゃくちゃ厳しい規則"だらけの改革として有名ですが、こうした収拾のつかない背景があったから厳しい取り締まりを徹底したのかもしれませんね。