龍馬の不可解な行動
画像:薩長同盟成立之模型(高知県立坂本龍馬記念館)
龍馬の代表的な偉業として、仲の悪かった薩摩藩と長州藩を“倒幕”という同じ目的で手を組ませ「薩長同盟」を実現させたわけだが、これは武力で徳川家を滅ぼそうとする計画だった。
その証拠に龍馬は薩摩藩へ大量の武器を持ち込み、戦争の後ろ盾をしている。しかし、一方では土佐藩の後藤象二郎を通じて山内容堂に大政奉還の提案書を送り付けている。
徳川家から朝廷へ政権を交代することで徳川幕府の時代を終わらせようと考えた。つまり、武力ではなく“血を流さず解決する”平和的な方法も行っているのだ。
大政奉還が実現すれば徳川家も生き残ることができるため、武力で解決したい薩長にとっては気分の良い話ではない。西郷隆盛も桂小五郎も不信感をもっただろう。
龍馬は不信がる桂に対し、「大政奉還の策を進めている後藤には大人しくするように注意するから、武力解決を望む倒幕派の板垣退助をリーダーにして動こう!」と手紙を書いている。
自分が後藤に伝達を頼んでおきながら、あたかも後藤が自分勝手に暴走して大政奉還を進めているような口ぶり・・・、龍馬という男が恐ろしい人間に思えてくる。
薩長同盟の本当の理由
画像:南蛮屏風(狩野内膳作-神戸市立博物館)
周囲には不信感を与える行動であっても、龍馬には思い描く理想図があった。私欲や仲間のためではなく、日本のために自己を犠牲にしてでも成し遂げたい夢である。
龍馬は19歳のとき、江戸に来航した黒船を間近で見て衝撃を受け、強烈な恐怖心と危機感を抱いたという。「欧米の侵略を防ぐために何をすべきか」と。
日本も海軍を作り自衛するしかないと考え、龍馬は脱藩し亀山社中を起ち上げ、貿易や商業を通じ土佐出身の志士を集め「海援隊」を構築する。
海軍設立のほかにも、日本を欧米と並ぶ近代国家にすることも急務と考えていた。
当時の欧米は、すでに国の代表が一貫して政治や軍の指揮をとっており、兵力を統制することで戦闘力が高かったのである。
しかし、日本は各地方の藩主に政治を委ねていた(幕藩体制だった)ため藩によって軍の統制にバラつきがあり、国全体としての戦闘力が低かった。
そんな状態で欧米に攻め込まれても対抗できない。そこで龍馬は手始めに薩摩藩と長州藩を一つにして政治や武力が強固になることを証明しようと考えた。
薩長同盟を仲介するとき、武力による倒幕をエサに西郷と桂を説得したが、実際は「大政奉還を促すために薩長同盟で幕府を威圧する」という目的があった。
薩長同盟のように今後も藩が手を組めば幕府の脅威になることを自覚させ、政治を統一するためにも朝廷が仕切るのが得策であると徳川に分からせたかったのである。
だが、薩長同盟には別の目的もある。薩長や土佐藩で倒幕の動きが強まるなか遅かれ早かれ内戦が生じると予測し、早い段階で解決するためには薩長が協力し合うのが手っ取り早い。
イギリスから支援を受けていた長州藩と軍事力の高い薩摩藩が手を組めば戦争も短期で終結できると考え、さらに土佐藩を薩長に合流させることで幕府軍への対抗力を高めた。
もし内戦が長引けば、その隙に欧米が攻め込んでくる可能性もあり、なるべく早期に内戦を終わらせる必要があったのだ。
この記事へのコメントはありません。