龍馬が書いた手紙の謎
画像:龍馬暗殺5日前の書状「封紙に貼られた朱字の付箋」(高知県立高知城歴史博物館 )
龍馬が生前に書いた最後の手紙とされる中根雪江に送った書状。暗殺される5日前に書いた直筆の手紙ということもあり、明治維新に関する貴重な史料として注目を集めています。
発見されたとき、書状は折りたたまれ、封紙に包まれた状態だったそうです。ただ、その封紙に貼られていた付箋が意味深で、赤い文字で「坂本先生遭難直前ノ書状ニテ他見ヲ憚ルモノ也」の記述が・・・。
現代語に訳すと「坂本先生(龍馬)が暗殺に遭う直前の書状なので他の人が見てはいけない」という意味合いとなり、発見される以前から極秘の書状であったことが分かります。
いつ、誰が付箋を書いて貼ったのかは不明ですが、福井市立郷土歴史博物館の角鹿尚計さんによると中根雪江の筆跡に似ているらしく、新たな“暗殺黒幕説”を予感させるような史料だとか。
手紙の全文は次の通り。
越前御藩邸 中根雪江様
一筆啓上仕候 此度越前老候
御上京相被成候段 千万の兵を得たる心中に御座候
先生ニも諸事 御尽力御察申上候
然るに先頃御直ニ 申上置キ三岡 八郎兄の御上京
御出仕の一件ハ急ヲ用する事に存候得ハ
何卒早々御裁可あるべく奉願候
三岡兄の御上京が一日先に相成り候得ハ
新国家の御家計御成立が一日先に相成候と奉存候
唯此所一向ニ御尽力奉願候 誠恐謹言
十一月十日 龍馬
※以下、京都国立博物館「宮川禎一」上席研究員による現代語訳を参考に編集
越前御藩邸 中根雪江様
一筆啓上申し上げます。この度、越前の老侯(松平春嶽)がご上京になられたことは千万の兵を得た心持ちでございます。先生(中根雪江)が諸事ご尽力くださったこととお察し申し上げます。
しかしながら、先ごろ直接申しあげておきました三岡八郎兄(兄=尊敬の気持ちを込めた特別な呼び方)のご上京、新政府にご出仕の一件は急を要することと思っております。
早急に越前藩のご裁可が下りますよう願い奉ります。三岡兄上のご上京が一日先になったならば新国家の財政の安定が一日先になってしまいます。何卒、この一点にご尽力をお願いいたします。
心から恐縮し、謹んで申し上げます。
十一月十日 龍馬
中根先生
追白
今日永井玄藩頭方ニ
罷出候得トモ御面会相不叶候
談シタキ天下の議論数々在之候ニテ
明日又罷出候所存ニ御座候得ハ
大兄御同行相叶候ハゝ実二大幸の事ニ奉存候
再拝
※以下、京都国立博物館「宮川禎一」上席研究員による現代語訳を参考に編集
中根(雪江)先生
追白
頭(永井尚志)方へ訪ねていったのですが面会できませんでした。(永井殿と)談じたい(意見を交わし合いたい)天下の議論が数々在りますので、明日また訪ねたいと考えています。
つきましては、大兄(中根先生)も御同行いただけると実に大幸に(有難く)存じます。
再拝
画像:龍馬暗殺5日前の書状(高知県立高知城歴史博物館 )
永井玄蕃(永井尚志)は徳川慶喜の側近で、対立派の多い幕府の中で大政奉還を推進した人物。龍馬は発言権のある永井を頼り、何度か面談しており、暗殺前日にも会っていたことが分かっています。
問題は、龍馬が11月11日(1867年12月6日)に永井と会う予定で、中根に同行を求めている点。つまり、大政奉還に「中根も関わっていたのか?」という疑惑が・・・。
また、龍馬暗殺の黒幕説には幕府の上層部が関与している説もあり、角川さんによると「暗殺直前の手紙に自分の名前が書かれていることで疑いがかかるのを恐れ書状を封印したのではないか」という見解。
さらに、京都国立博物館の宮川禎一さんは、「中根は由利の新政府への出仕に非協力的で、由利に手紙が見られると面倒だから付箋をして封印したのではないか」と見解しています。
いずれにしても、龍馬が由利と親交が深かったことを裏付ける史料ですが、それ以外にも龍馬の暗殺を紐解くヒントが隠されているとしたら・・・、歴史的な大発見につながる手紙かもしれませんね。
参考:付箋が貼られた理由は?(福井新聞2017年01月17日号)
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