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いつから「鎖国」は始まった?教科書から「鎖国」が消えるって本当?(前編)

鎖国の歴史


画像:豊臣秀吉之像(藤原邦信画-大阪城)

鎖国と貿易には密接な関係があります。貿易は物品の輸入だけではなく海外の文化や習慣も一緒に入ってくるので、根本からキリスト教を廃絶するためには異国との交流を禁止する必要があったのです。

日本は遠い昔から中国や朝鮮との貿易を行っていましたが、オランダやポルトガルとの貿易が始まったのは織田信長の時代になります。信長がキリスト教の布教を許可したことで日本でもキリシタンとの交流が始まりました。

そして、スペインやイギリスとも貿易が始まります。しかし、単に貿易と言っても、物品や文化の交流に限らず相手国の目的は様々でした。まず、ポルトガルやスペインは、いずれ日本を植民地にしたいという狙いがありました。

宣教師らが布教と称して寺社仏閣を壊し、貿易と称して人身売買していることを知り、秀吉は激怒。日本人の奴隷50人を火薬1箱と交換し、キリシタン大名に火薬1箱を渡していたそうです。

そうした背景から秀吉が発令したのが伴天連(バテレン)追放でした。ちなみに、この出来事が朝鮮出兵の引き金になったとも言われています。

秀吉の死後、徳川幕府はキリシタン追放の移行を引き継ぎ、秀吉の頃よりも徹底的な弾圧が行われました。

関ケ原の戦いで西軍に加勢したキリシタン大名の小西行長や有馬晴信は徳川に敗れ、家来たちは浪人となって暮らしますが、その数は膨大だったようです。しかも、キリシタン大名の家来なので迫害される末路。

さらに、浪人以外のキリシタンや村人たちに対しても幕府(唐津藩)は通常よりも高い税金を要求し、ついに浪人やキリシタンたちは我慢の限界に達し、島原の乱を起こすに至ります。

暴発したキリシタンの勢いは凄まじく、このとき、幕府はキリシタンに対して脅威を感じたことでしょう。島原の乱を教訓に、幕府のキリシタン追放は激化することになります。

そして、キリスト教と関わりが深いスペインやポルトガルとの貿易や交流を禁止し、キリシタンを日本に入れない、キリシタンを日本から出す前に消して(処刑して)しまおう、これが「鎖国」の目的でした。

この状況にオランダは関係がないので、江戸時代が鎖国であってもオランダとの貿易は許されていたのです。

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