真田氏の戦法
画像:©2016上田城(上田城跡公園ホームページ)
古くから小勢力だった真田氏は山岳地帯を縄張りとしており、少ない兵力で対抗するために地形を活かした戦い方を得意としていました。たとえば、籠城戦と見せかけ意表をついて武力を使わず調略で敵を切り崩したり、奇襲や待ち伏せによるゲリラ戦などが目立ちます。
沼田を奪還した1585年の第一次上田合戦でも少数の兵を籠城させて白に敵を引き寄せ、予想もつかないところから奇襲をかけて敵を錯乱させ、徳川の大軍に勝利しているのです。兵力の差は約4倍でした。その戦法は関ケ原の戦いでも発揮されます。
この戦いで、昌幸は上杉景勝に援軍を要請していますが、友好の"証"として幸村を人質に差し出しています。人質といっても客人のような待遇で丁重に扱われ、幸村は直江兼続から上杉家の軍法を学んだり謙信の遺徳に触れたりと真田家以外の戦術を知る貴重な機会になりました。
そして訪れる関ケ原の戦い。秀吉が亡くなった後、昌幸と幸村は徳川に仕える道を選びますが、関ケ原の戦いでは西軍に加勢し、家康と敵対する道を選んでいます。ただし、長男の信之は東軍(家康)に従わせました。
一説によると、「どちらが負けても真田家が存続できるように」という昌幸の判断だったと言われています。
たとえば、こんな感じ。
「信之よ、私と信繫(幸村)は上田城に残るが、お前は秀忠と合流しなさい」
「父上、どういう意味ですか?」
「お前は家康(東軍)に加勢して、私と信繫は豊臣(西軍)に加勢する」
「それでは父上と戦うことになります」
「そうだ、これからは敵になる。だがな、どちらが負けても真田家は生き残れるじゃん」
「父上、無茶を言わんでください」
「信之よ、ポジティブに考えなさい。お前は生真面目すぎるから」
しかし、信幸は家康の家臣・本多忠勝の娘(家康の養女でもある)と結婚しており、幸村は秀吉の仲人で大谷吉継の娘と結婚していたため、一概に「真田家の存続」だけが理由ではないようです。
でも、昌幸が家康を嫌っていた可能性は非常に高いです。
まだ秀吉が天下統一を果たす7年前のこと。北条氏政は天正壬午の乱を経て敵対していた徳川家康と1583年に和解し、家康は娘の督姫を氏政の息子・氏直に嫁がせます。
また、氏政は武田氏が滅びたあとに奪取していた元・武田の領土(甲斐国・信濃の佐久、諏訪)を家康に譲渡し、これに対して家康は真田氏が所領する上野国沼田を氏政に譲渡しました。
ちなみに、沼田の譲渡について真田氏は承諾しておらず、ほぼ家康の独断行為。結果、真田氏は家康に嫌悪感を抱き、上杉景勝と手を組んで第一次上田合戦にて北条氏から沼田を奪還するのです。
こういった一件があり、昌幸は家康に嫌悪感を抱いていたわけです。
そして、西軍についた昌幸と幸村は第二次上田合戦でも真田家の戦法を用いて徳川の大軍に勝利しています。東軍の大将を務めていた家康の息子・秀忠にゲリラ戦と調略を仕掛け、関ケ原の本戦に秀忠を遅刻させました。
第二次上田合戦
画像:©信州Style「上田城跡公園」(長野県上田市二の丸)
信之と合流した秀忠は、昌幸と幸村(信繫)がいないことに気づきます。
「ねぇ、お父さんと弟は?」
「それが・・・、豊臣に加勢すると言って上田城に残りました」
「は?冗談でしょ」
「いえ、本当です。私は徳川に忠義を尽くしますので!」
「ちょっと待って。親父(家康)に報告しないとマズいわ」
この報告を受けた家康は秀忠に上田城への攻撃を命じました。
こうして上田城に徳川軍は向かったわけですが、秀忠と信幸が率いる軍勢は3万7千人。かたや上田城の兵力は2000人ほど。この勝負、誰がどう見ても徳川軍の圧勝で終わると思われました。
上田城に到着した秀忠は、「昌幸を降伏させて城を明け渡すように伝えよ」と本多忠政と信之に命じます。この要求を聞いた昌幸は、「ちょっと待って。城を出る準備をするから」と降伏の意思を示しました。
そして3日が経ち、我慢の限界に達した秀忠は早く城から出るよう昌幸に催促します。
「昌幸さん、そろそろ準備できましたか?」
「ごめんね待たせて。ようやく戦う準備ができたよ」
「えっ?あんた何を言っているの?」
「あっ、やっぱり降伏しないことにした。だから戦おう!」
つまり、ただの時間稼ぎだったわけです。挑発とも言える昌幸の態度に激怒した秀忠は上田城への総攻撃を決定し、榊原康政や忠政など徳川の家臣に出陣を命令します。
しかし、昌幸の作戦だと気づいた康政は「昌幸は無視して家康様の軍と合流しましょう!関ケ原に遅刻しますよ!!」と撤退を促しました。すでに3日も過ぎており、秀忠が率いる3萬7千の軍は貴重な兵力だったからです。
上田城で時間を無駄にするよりも家康と合流して関ケ原に向かうことが先決だと康政は考えたのです。しかし、勝ち戦を確信していた秀忠は上田城の攻撃に取り掛かりました。
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