切なすぎる千姫事件!恋におちた剣士「坂崎直盛」の儚く散った片思い
画像:沖本常吉・著「津和野ものがたり」より坂崎直盛の肖像
日本史において最強の剣士と称される柳生宗矩。彼と互角の剣士と言われた「坂崎直盛(坂井出羽守)」という男をご存知でしょうか。
宇喜多忠家の長男として生まれた直盛は室町時代から江戸時代の初期にかけての武将で、宇喜多直家(中国地方の三大謀将の一人)の甥にあたる人物です。
始め宇喜多秀家(直家の長男)に仕えていましたが、秀吉の没後、秀家と折り合いがつかなくなり対立すると、徳川家康の仲裁により徳川の家臣となりました。
関ヶ原の合戦では戦功が認められ津和野3万石を拝領し、大坂の陣でも武功を称えられ4万石に加増され、このあとから坂崎と名乗るようになります。
今回は、そんな勇ましい男の切なくて儚い「恋」にまつわる逸話を紹介したいと思います。
直盛と千姫
画像:千姫(弘経寺)
徳川秀忠(家康の長男)には千姫という長女がおり、千姫は豊臣秀頼の正室になっていました。ちなみに、千姫の母親は浅井三姉妹の江(信長の妹「お市」の娘)ですね。
やがて大坂夏の陣が勃発し、大坂城が火事で壊落することを知った秀忠は、あることを徳川の家臣たちに約束しました。
「大坂城から千姫を助け出した者は千姫と結婚していいよ」と。
いくら秀忠の娘とはいえ、うじゃうじゃ敵がいる戦場で、なおかつ燃え盛る火の中へ飛び込むという危険な任務、ためらうのは当然です。
そんななか、坂崎直盛は「俺に任せろ!」と火に包まれた大坂城へ突撃し、気絶した千姫を見つけ背負うと、脱出するための出口を必死で探しました。
その最中、天井から焼けた柱が落下し、千姫をかばい直盛の顔面に直撃。直盛は火傷を負い、ひどく顔が焼けただれてしまったのです。
しばらくして千姫は目を覚ましましたが、直盛の顔を見て直ぐに気を失ってしまいました。
死にもの狂いで大坂城から抜け出した直盛は、真っ先に秀忠のもとへ報告。
「よくやったぞ!直盛!!約束通り千姫との結婚を認めてやるぞ」
これを聞いた直盛は大いに喜び、緊張の糸が切れたように気絶しました。
千姫の婚約者
画像:橋本政次・著「新訂・姫路城史(中巻)」より本多忠刻
直盛は療養のために自宅で休暇をとっていましたが、なにやら妙な噂が耳に入ってきます。
「千姫が本多忠刻と結婚するらしいよ」と。
慌てて直盛は秀忠のもとへ足を運び、詳しい話を聞くことにしました。
「秀忠様、千姫が忠刻と婚約したと聞きましたが何かの間違いですよね?」
すると、秀忠の返答に直盛は落胆します。
「ごめん。千姫が忠刻に惚れてしまって言うことを聞かないんだよ」
「そんなバカな!私と千姫の結婚は?男と男の約束ですぞ!」
「約束はしておらん。結婚を許可すると言っただけだ。千姫にその気がないなら話は別だ」
こんな恥をさらして生きていくことはできない・・・。直盛は死を決意しました。