信長公記について
画像:信長公記(国立国会図書館)
信長公記とは?織田信長に関する最も信頼性が高い史料が高いと称される「信長公記」は、410年以上も前に作成された文献ですが、当時の出来事や信長の生涯について具体的に記されています。
まず、信長公記には二通りの読み方があります。
一つ目は「しんちょうこうき」、二つ目が「のぶながこうき」です。どちらも間違いではないですが、著者である「太田牛一(ぎゅういち/ごいち)」の意思を尊重するなら「しんちょうこうき」と呼ぶのが正当と言えるでしょう。
「のぶなが」と読まずに「しんちょう」と読む理由は、有職読み(ゆうそくよみ)によるもの。尊敬する人に対して"音読み"にする習慣があったようで、牛一は信長に敬意を払い「しんちょうこうき」と名付けました。
信長公記は、幼少時代から足利義昭の上洛前(1534年~1568年前)までを一冊にまとめた「首巻」と、義昭の上洛から本能寺の変(1568年~1582年)までを15冊にまとめた書物で成り立っています。
歴史上で初めて作成された信長の「一代記(君主の1代やある人の一生の事績を記録したもの)」で、出来事ごとに年・月・日が正確に記されており、また、内容の記述が客観的かつ忠実であることから信長に関する史料の中で最も信頼性が高い文献として扱われています。
画像:織田信長の肖像(長興寺)
信頼性が高いと称される理由は、牛一の執筆形式にもあります。牛一は「感情を入れずに書く」のが特徴で、主観がなく、客観的な記述になっているため内容に偏りが無いんです。
信長寄りの目線で書いていたり物事の意図や背景を正当化したりするような記述ではなく、"起きたこと"を第三者の目線で忠実に書いているので客観的な文面になって信頼性が高いというわけです。
信長公記が作成されたのは牛一が長秀に仕えていた頃から秀吉の家臣だった頃と考えられ、長年、牛一がメモ代わりに記してきた膨大な量の日記を基に全16冊にまとめたものが信長公記になります。
足利義昭の上洛から本能寺の変までを1年ごとに1冊ずつにまとめ、計15年の信長に関する史実が記されています。幼少期から義昭の上洛前までは1冊にまとめられており、全部で16冊。
そのため、時代に応じて信長や家康に対する呼び方・表現が変化しているのも特徴です。
たとえば信長なら、「上様」と書いていたり「信長公」と書いていたり、あるときは「信長」と呼び捨てで記述しているページもあって、いろいろな時期の日記を切り貼りしながら信長公記が作成されていることがリアルに感じ取れます。
また、家康に対する呼び方は、後編になるほど家康卿や家康殿と敬称をつけて記しているため、そうした細かな表現の変化でも出世していく過程や時代の流れが伝わってくるんです。
通常の古文書や文献は数種類の資料を基に編纂する(いろいろな資料を参考に整理・加筆してまとめる)のですが、信長公記は牛一が書き記していた日記が基になっています。
牛一は信長の身近で起きたことや合戦の記録などをコツコツ書き留めておき(安土日記など)、その日記が後にメモの役割を果たし、晩年に一代記としてまとめました。
太田牛一については下記の記事を参考にしてください。
参考:信長公記の著者「太田牛一」は戦国史に欠かせない有能な武将である!
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