注目の記事ピックアップ!

信長公記・1巻その1 「足利義昭の保護・上洛の準備」

義昭、信長を頼る


画像:青木康洋・著「戦国武将、決断の瞬間」より「今川義元」(コスミック出版)

当てが外れた義昭は、尾張と美濃を統一した信長へ使者を遣わし、上洛の要請を願い入れる書状を贈った。岐阜城の信長のもとへ書状が届き、「承知した、一肌脱ぎましょう」と義昭の要請を受けたのである。

1568年8月18日(永禄11年)、義昭は幕臣の和田惟政、不破光治、村井貞勝・島田秀順らに護衛されて越前を出発し、濃州西庄の立正寺(岐阜市西荘内の立政寺)に入った。

義昭を保護した信長は上洛の準備を急ぎ、8月29日には六角氏(六角承禎)と上洛について相談するために江州佐和山(滋賀県長浜市)に出向いた。

そして、信長は上洛に伴う兵と協力するという証拠に人質の提出を要求した。交渉は7日間つづき、信長は協力する代わりに所司代(室町幕府の役職)の地位を約束したが、六角氏が要求を受け入れることはなかった。

交渉は決裂し、これによって上洛する際には近江で六角氏との戦闘が必須となった。上洛する際、京都に行くまでには近江を通る必要があり、六角氏が要求に応じないのであれば力づくで通過しなければならなかったのだ。

ページ:
1

2

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 信長公記・8巻その2 「長篠の戦い」

  2. 信長公記・10巻その1 「紀州征伐」

  3. 信長公記・11巻その4「安土城の大相撲」

  4. 信長公記・2巻その1 「二条城の建築」

  5. 信長公記・8巻その1 「河内攻め」

  6. 信長公記・5巻その1 「三好義継の反乱」

  7. 信長公記・11巻その1 「正月の茶会と内裏の節会」

  8. 信長公記・首巻その3 「織田家の内部抗争(斯波義統の死)」

  9. 信長公記とは?織田信長に関する最も信頼性が高い史料

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

週間人気記事ランキング

  1. 登録されている記事はございません。

全体人気記事ランキング

おすすめ記事

PAGE TOP