it’s crazy!高杉晋作の行動力や決断力の源を“5つの名言”から学ぶ
画像:図説・幕末志士199「高杉晋作」(学研)
激動の幕末を疾風の如く駆け抜け、文字通り“命がけ”で時代の変革期に立ち向かった高杉晋作。27年という短い生涯でしたが、歩んだ道は崖のように険しく試練の連続でした。
猪突猛進“長州男児”のポリシーを持ち続け、いかなるときも攻めの姿勢を崩さなかった晋作。劣勢の状況を打開し、幾多の修羅場を乗り越えた行動力と決断力は並外れたものです。
では、その動力源は、なんだったのでしょう。晋作の心を突き動かしていたものが何だったのか、常人では成し得ない行動の源と生き様に迫ってみたいと思います。
晋作が吉田松陰に送った手紙
画像:松浦光修「新訳-留魂録」(PHP研究所)
晋作の人生の“師匠”であり、生き方の“指針”となった吉田松陰。松下村塾の塾長を務め、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠など、明治維新の主軸となる人材を輩出しました。
不利な条件で日米通商条約を交わした徳川幕府に不信感を抱いた松陰は、幕府の老中・間部詮勝の暗殺を企てましたが未遂に終わり、疑われ監禁されますが、幕府は犯人を特定できず松陰を釈放。
黒船来航をきっかけに攘夷派(外国に敵対する派閥)の動きが強まると、幕府の大老・井伊直弼が攘夷派に対して過酷な弾圧(安政の大獄)を決行します。
攘夷派の取り締まりに際し、以前から目をつけられていた松陰は「幕府への批判が目立つ」という理由で野山獄に収監されますが(1859年1月29日)、このとき晋作は獄中の松陰に手紙を送っています。
その内容は、
真の男とは、いつ、どのようなときに死ぬべきでしょうか
という死生観(※)に関する質問でした。「真の男はいつ死ぬべきか」なんて、ある意味、名言ですね。8月7日、この質問に対して松陰は晋作に返事を書き、晋作に宛てて獄中から手紙を送っています。
※死生観・・・生きること、死ぬことに対する個人の考え方
動力源その1 怒り
画像:吉田松陰之肖像(山口県文書館)
●吉田松陰が高杉晋作に送った「死生観」に関する手紙(現代語で解釈した翻訳)
「真の男とは、いつ、どのようなときに死ぬべきか」教えてほしいとのことですが、私は李卓吾(中国の思想家)の文献を読んで昨年の冬あたりから“死”について考えが深まりました。
李卓吾の書に、「死を好んではいけない。とはいえ、嫌うものでもない。正しく生ききれば安らかな気分になる時が訪れる。それこそが死ぬべき時ではないだろうか」そう書いてありました。
世の中には肉体があっても心が死んでいる人もいます。たとえ生きていても心が死んでいるのなら、“男児たる者”という観点で考えれば長生きしても意味がないように思います。
死んだ後に自分が誰かにとって不滅の(信念や理念の)存在になる(手本となる)見込みがあれば、そのときは成すべきことに命を投げ出し、いつでも死ぬ道を選ぶべきです。
志半ばなら、まだ生きることで自分が国家の大業をやり遂げられるという見込みがある場合には、命を投げ出さずに生きる道を選ぶべきでしょう。生きるか死ぬか、大切なのは“現在”なのです。
死に時にこだわるべきではありませんし、今の私は「ただ自分が言うべきことを言う」それだけを考えています。大切なのは「現在(いま)何をすべきなのか」ということではないでしょうか。
参考:留魂録-吉田松陰の死生観-松浦光修(PHP研究所)
このとき、晋作は18歳。死生観について松陰が晋作に宛て書いたものですが、それ以降、晋作の“生き方”に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。
11月19日、松陰は松下村塾の弟子たちに「留魂録(遺書)」を書き、2日後(11月21日)に江戸の伝馬町牢屋敷で処刑され、29歳で没しました。突然に下された刑の執行でした。
松陰の悲報を聞いた晋作は幕府に対して激しい怒りを覚え、11月26日には長州藩の周布政之助に「先生(松陰)の仇は必ず私がとります」と幕府への強い復讐心を手紙で伝えています。
動力源その2 プラス思考
画像:高杉晋作・吉田松陰・久坂玄瑞の像(山口県萩市-松陰記念館)
晋作の行動力や決断力を生み出していた要因の一つが「プラス思考」です。悲観的に捉えず、「まずはトライしてみよう」という強い精神をもって物事に取り組んでいました。
晋作が遺した名言の一つに「苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか」という言葉がありますが、その言葉からもポジティブであったことが分かります。
苦しいという言葉だけはどんなことがあっても言わないでおこうじゃないか
この“苦しい”とは、「耐えろ」「我慢しろ」「弱音を吐くな」そういったストイックな意味ではなく、「苦しいと思わず前向きにいこう」というポジティブな捉え方になります。
苦しいと愚痴っていてもパワーは生まれないし、置かれている状況を嘆くよりも「達成したあとの未来に目を向けてポジティブなイメージをもちながら取り組んだほうが力が湧く」という意味ですね。
また、晋作は、次のような言葉も遺しています。
真の楽しみは苦しみの中にこそある
人間、窮地に陥るのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。
しかし、死地に陥れば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない
「苦しい」や「困った」といったネガティブな言葉を発することで消極的になり、行動や決断が鈍ると好ましくない結果につながることを晋作は知っていたのでしょう。
どんな状況に置かれても思案を尽くす。それでも窮地に陥ってしまうこともある。しかし、「困った」と言ってしまえば思考が止まりって感情に流され、活路を見出すことができなくなる・・・。
だから「ネガティブな言葉は言わない」「積極的に前進あるのみ」そんな晋作の心構えを示す名言です。
動力源その3 まず実行!
画像:功山寺挙兵「高杉晋作」の銅像(功山寺)
何かを新しく始めるにあたり「失敗したくない」と思うのは当然で、悩みや迷いが生じるのも当然。
だから人は考えたり疑ったり慎重になるわけですが、時間をかけたからといって成功率が高くなるとは限りません。じっくり考えたり慎重に計画を立てたりしても、上手くいかないことのほうが多いものです。
ならば、「あれこれ考えず実行してみる」というのが晋作の生き方。
戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい
これは晋作が遺した言葉ですが、戦いとは「行動」で、利益は「成果」という意味合いになります。
「まず、やってみる!考えるのはそれからでいい。行動に移すのが1日早ければ、物事が動くのも1日分早くなる」といった分かりやすい言葉。しかし、決して「イチかバチか」の話ではありません。
手当たり次第に行動するわけではなく、「やる」と思ったら「まずは一歩踏み出してみる」という意味。「やると決めたのに考えたり悩んだりしてチャンスを逃すのはもったいない」というのが晋作の行動力なんですね。
「下手の考え休むに似たり」ということわざのように、実力のない人や未経験の人が時間をかけて考えても大したことは思いつかないので、悩むよりも経験を積んで選択肢を増やしていけばいいわけです。
つまり、たとえ上手くいかなかったとしても、「成長」という利益(成果)を得ることになるのですから。
また、晋作は、
気を養えば人間あとは行動に移すのみだ
何かひとつだけのことを考えるならば雑念が自然となくなり素早く実行できる
こんな言葉も遺していますが、「限られた人生どれだけ先があるか分からないなら、悩んでいる暇がないくらい俺は面白く生きていく」そういったアグレッシブでハングリーな精神が晋作の行動力の源だったようです。
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