将門の結界その2 「遮断」の魔方陣
やがて大政奉還、王政復古の大号令、戊辰戦争を経て長きにわたり繁栄した徳川将軍の時代も終わりを迎えることになります。そう、明治維新です。明治時代の幕開けと共に、明治政府は北斗七星の結界を封印しました。
どのような方法で封印したかというと、北斗七星の上に被せる形で5つの霊力を使った"魔方陣"を張ったのです。
①谷中霊園
②築地本願寺
③青山霊園
④雑司ケ谷霊園
を結ぶと大きな四角形が描き出され、兜神社(将門の兜が埋まっている)と鎧神社(将門の鎧が埋められている)を"遮断"しています。つまり、魔方陣を使って将門の頭と胴体を切り離しているわけです。さらに、
⑤靖国神社
を築土八幡神社(将門を地の神として祀っている)、首塚、神田神社(首塚の将門を供養した)の中央に置いて怨念のパワーを弱めようとしました。しかし、「これだけでは不十分」そう思った明治政府は、もう一つ結界を張ります。
将門の結界その3 「山手線」の結界
明治18年3月1日に開業した山手線。これも将門の怨念を封じるための結界だと言われています。
山手線の路線も点で結ぶと、兜神社(将門の兜が埋まっている)と鎧神社(将門の鎧が埋められている)を遮断するように線路が敷かれていることがわかります。
ちなみに、鉄は霊魂を遮断する効力があるらしく、その役割を線路が担っているわけですね。
しかし、山手線の完成間近、東京を大災害が襲うのです。「関東大震災」です。関東大震災で築地本願寺が破壊され、その後の「東京大空襲」では築地本願寺の方角からB29爆撃機がやってきたそうです。
明治政府の張った結界が弱まり、北斗七星=将門の怨念が目覚めてしまったのではないか、と言い伝えられています。終戦後、築地本願寺は再建され、山手線も復旧。今もなお、当時のまま2つの結界は張られているんです。
信じるか信じないかはあなた次第です。
画像:平将門肖像(築土八幡神社)
いかがでした?将門の怨念にまつわる3つの結界。ただの偶然としては奇妙ですよね。もし、明治政府が張った2つの結界が無くなったら・・・、将門の怨念が再び蘇ってしまうのでしょうか。
信じるか信じないかはあなた次第です!
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