日本一、タフな男
画像:伊能忠敬の歩幅(千葉県佐原駅)
端的に伊能の生涯を紹介したが、日本地図ができるまでの経緯は尋常じゃない努力の積み重ねであった。「空の向こうを知りたい」という夢は、いつしか「誰も見たこともない正確な日本地図を作ろう」という決意へと変わる。
そして、成し遂げた。この男、タフだ。日本地図の完成を見守った幕府の人間や弟子たちは、そう思っただろう。徒歩が交通手段だった時代に全国を歩きながらコツコツと測量したのだから。
もはや”継続は力なり”なんて、そんな言葉では片づけられない偉業である。夜空を見上げたときには、ふと思い出してほしい。全国を徒歩で測量し、日本地図を完成させたタフな男が217年前にいたことを。
●1795年(50歳)・・・上京。高橋至時に天文学を学ぶ
●1800年(55歳)・・・北海道の測量 ●1801年(56歳)・・・伊豆半島と東日本の東海岸部を測量 ●1802年(57歳)・・・東北地方の日本海沿岸部を測量 ●1803年(58歳)・・・2年かけて東海地方と北陸地方を測量 ●1805年(60歳)・・・3年かけて近畿地方と中国地方を測量 ●1808年(63歳)・・・四国地方を測量 ●1809年(64歳)・・・2年かけて九州南部を測量 ●1811年(66歳)・・・3年かけて種子島と屋久島、九州北部を測量 ●1815年(70歳)・・・伊豆諸島を測量 ●1816年(72歳)・・・江戸を測量 ●1818年(73歳)・・・測量した各地の図面を張り合わせている途中で病死 ●1821年(死後)・・・弟子たちが「大日本沿海輿地全図」を完成させる |
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