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幕末のワイルド“スギちゃん”高杉晋作の生涯はマンガのように波乱万丈だった?(後編)

  第一次長州征伐と功山寺の挙兵


画像:功山寺挙兵「高杉晋作」の銅像(下関市教育委員会指導課)

長州征伐は、武力による長州藩の壊滅を目的とする徳川幕府の軍事行動ですが、長州征伐は第一次と第二次の2回にわたって行われました。

第一次長州征伐が決行された理由は、1864年8月20日に長州藩が起こした禁門(蛤御門)の変が発端。長州藩士が京都御所に向かって砲撃し、長州藩に対する制裁を朝廷が幕府に命じました。

もともと攘夷派の長州藩と敵対していた幕府は、この機会に長州藩の壊滅もしくは領土の没収を考えていましたが、尾張の徳川慶勝と薩摩の西郷隆盛が仲裁に入り、互いの軍が衝突するような戦争は起きていません。

代わりに、禁門の変に関与した長州藩の家老、国司親相、益田親施、福原元僴が11月11日・12日に切腹。戦わずして幕府に降伏する形で第一次長州征伐は終結したわけです。

しかし、「平和的な解決?なんだそれ?」と晋作にとっては不満な終わり方。倒幕を主張しても長州藩の内部では幕府に従う派閥(恭順派)が生まれており、イケイケの晋作は命を狙われ四国や九州で身を隠すはめに・・・。

もちろん、長州藩には倒幕派も残っていましたが、恭順派2000人と幕府15万人と勝負するだけの兵力がなく、晋作の心境はモヤモヤしていたことでしょう。

まぁ、不発のまま引き下がる男ではありませんし、反撃の機会を待っていました。下関へ戻り奇兵隊の協力を得ようとしましたが赤根武人や山県有朋を説得できず失敗します。

最終手段として晋作がとった行動は「呼びかけて待つ」というシンプルな方法。誰が来るか、どれくらいの人が集まるか予想できない状況で、ひたすら晋作は功山寺で待ちます。

そして、1865年1月12日、力士で構成された武闘派集団・力士隊と石川小五郎が率いる遊撃隊、あわせて80名が功山寺に集まり、恭順派の制圧に向けて出陣しました(功山寺の挙兵)。

つまり、晋作が実行したのは長州藩に対するクーデター。恭順派の目を覚まさせ、再び徳川幕府と戦う姿勢を取り戻すために是が非でも成し遂げなければならないものでした。

  薩長同盟と第二次長州征伐

画像:薩長同盟の再現模型(坂本龍馬歴史館)

出陣した晋作の部隊は下関新地の萩藩会所を占拠し、続いて下関を占拠。新たに18名の決死隊を編成し、三田尻に行き軍艦三隻を奪って下関へ戻りました。

80名だった晋作の部隊は気づけば奇兵隊まで合流して3000名まで膨れ上がっており、大田・絵堂の戦いで恭順派に勝利すると、目的通り長州藩を倒幕派で統一することに成功したのです(1865年2月2日)。

そして、1年後の1866年3月7日、桂小五郎、井上聞多、伊藤俊輔らと内密に進めていた「薩摩同盟」が土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎、土方久元の仲介によって成立します。

薩摩とイギリスで交わされる盟約(薩英会盟)に立ち会うために長崎へ向かいますが、その渡航中(5月18日)に長州藩には許可を得ず「丙寅丸(へいいんまる)」を無断で購入。

膨れ上がっていく薩長は幕府にとって脅威の存在となり、徳川幕府は7月20日に第二次長州征伐を決行し、迎え撃つ薩長は晋作を海軍総督に任命。

丙寅丸に乗り込んだ晋作は、ここでも常識破りの夜間奇襲を仕掛け、周防大島沖にてアジア最強と称された幕府艦隊(幕府海軍)に破壊的なダメージを与えます。

奇兵隊による周防大島の奪還や薩摩藩の猛攻により幕府軍を撤退に追い込むと、幕府は薩長に休戦協定を申し出、事実上、第二次長州征伐は薩長の勝利で終結しました。

1867年1月30日に孝明天皇が崩御し(亡くなり)、2月13日に明治天皇が即位。そして、5月16日に深夜林宅離れで晋作は肺結核が原因で死去します。

同年11月9 日には「大政奉還」が成立し、265年にわたり日本の実権を握ってきた徳川幕府は終焉。

王政復古の大号令を経て、戊辰戦争(明治維新)で新政府軍(明治政府)が幕府軍を壊滅すると、江戸時代は終わり明治時代が幕を開けることになります。

ちなみに、晋作が無断で購入した丙寅丸は、明治時代に「オテント丸」と名前を変え、貨客船(旅客と貨物を同時に運ぶ船)として有効活用されました。
画像:図説・幕末志士199「高杉晋作」(学研)

激動の幕末において疾風の如く時代の変革期に立ち向かい、27年という短くも波乱万丈な生涯を送った高杉晋作。“長州男児”のポリシーを最期まで持ち続け、いかなるときも攻めの姿勢を崩さない鋼の心をもった男は“どんな未来図”を描いていたのでしょうかね。

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