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江戸(戦国)時代の「金貨(小判・大判)・銀貨・銅貨」は現代の価値でどの位?

銅貨(銭)の価値

金貨や銀貨を使ったのは主に武士や裕福な商人で、庶民の間で流通していたのは銅貨。通称「銭」と呼ばれるもので、現代で硬貨が”小銭”と呼ばれる語源になっているようだ。

もっともメジャーな銅貨が「寛永通宝」で、単位は「文(もん)」と「貫(かん)」があり、1貫で1000文の換算。寛永通宝 1枚が1文銭で、つまり、1文銭を1000枚束ねたものが1貫である。

1貫は1両の4分の1の価値で、4貫で1両となるが、1両が7万円ほどの価値であるから1文銭を現代の円に換算すると約16円~17円になる。

また、1文銭には少し大きめの4文銭もあり、このタイプの寛永通宝が通称「波銭」と呼ばれていた。お金が無い状態を”一文無し”と言ったりするが、この「一文」とは江戸時代の寛永通宝が語源となっている。

<銅貨の価値>

1文 現代の円に換算すると約16円~17円
1000文銭 1貫(1両の4分の1の価値)
4貫 1両の価値(60匁と同等の価値)

※寛永通宝には1文銭と4文銭の2種類がある

ただし、両替屋で1貫を受け取ると、1文銭が1000枚の束になってはおらず実際には960枚しかない。40枚は手数料として最初から差し引かれている状態だった。

4%の手数料ということになるので、現代の銀行よりも高い設定。4文銭なら250枚で1貫という計算になる。4%の手数料を差し引けば240枚の4文銭を受け取ることになるのだ。

銀行の地図記号

金貨・銀貨・銅貨、三種類の貨幣は交換が可能で、両替商が行っていた。2015年にヒットしたNHKの朝ドラ「あさが来た」のヒロインである「あさ」が嫁いだ先としても有名になった職業。

両替商は金貨、銀貨、銅貨の両替がメインだったが、ほかにもお金を預かったり、預かったお金を第三者に送金したり、お金を貸したり、現代の銀行のような役割をしていたわけだ。

両替商の儲けは手数料で、当時の両替商として代表的なのが江戸の三井両替店。現在の三越百貨店のルーツである「三井越後屋」がサイドビジネスで始めたのが両替商だった。

もうお気づきだろうが、現代の三井住友銀行の元祖である。また、両替商の看板は丁銀の重さを測ったり両替の際に使った「分銅(重り)」の形をモチーフにしており、現代でも銀行の地図記号として使われている。

江戸時代が終わり明治時代へと移り変わった1871年、通貨は「円」「銭(せん)」「厘(もう)」に切り替わり、両替商は次第に無くなっていった。さらに、昭和24年には通貨が「円」で統一されることになる。

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