なぜ五右衛門は処刑された?
イエズス会の日記や日本王国記、 豊臣秀吉譜では処刑の理由は把握できない。盗賊であるから処罰の対象になった、このこと以外に「なぜ五右衛門が処刑されたのか」直接的な原因は記されていない。
一説によると、秀吉の寝室に忍び込み、「千鳥の香炉」(お香を入れる容器)と呼ばれる”お宝”を盗もうとしたところを見つかり、 豊臣秀吉譜が記す豊臣家の家臣・前田玄以が五右衛門と家族、仲間を捕えて三条河原で処刑された。
画像:現在は愛知県名古屋市の徳川美術館が管理
罪名は、不法侵入、これまで犯した殺人、窃盗、強盗、殺人未遂、強盗未遂など数えれば山ほど。どの記録にも「釜で煎られて処刑」とあるので、”煎られる”という記述から釜の中には煮えたぎった油が入っていたと思われる。
母親や仲間も処刑されたが、このとき五右衛門の息子である五郎市も一緒に釜茹でされている。子孫を残しておけば、いずれ悪事を働くかもしれないと考え、秀吉は五右衛門と関わりある者を根絶やしにした。
この処刑の光景が、釜で造られた風呂「五右衛門風呂」の語源となっている。そして五右衛門は、処刑の際に最期の言葉を残している。辞世の句として、歌舞伎や映画でも登場する有名な言葉だ。
五右衛門が最期に残した辞世の句
画像:市川海老蔵 ©テレビ東京「石川五右衛門」
石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ
現代の言葉に訳すと、「俺を殺したところで、浜辺の砂が風に吹かれても無くならないように、人間の心から”悪”が消えることは無い。悪人は次から次へと出てくる」という意味になる。
この言葉は、実に哲学的な解釈ができる。人間の本質を見抜き、世の中の在り方を嘆き悲しみ、善と悪の境界線やモラルといった社会への疑問を投げつけている。
そもそも生まれたときに人間の心の中には善も悪も存在していない。育つ環境や社会のルール、関わる人間や押し付けられる価値観など人生の過程において悪の心が芽生え、それは誰にでもあり得るということ。
つまり五右衛門は、「人間がこの世に存在している限り、悪事が消えることはない」そう言いたかったのである。人間は利己や私欲のために悪に染まるし、善を重んじて生きる人間もいると五右衛門は悟っていたのだろう。
さて、いかがだっただろうか。今回は天下の大泥棒、石川五右衛門にまつわるエピソードを紹介したが、こうした伝説の人物に目を向けてみるのも面白い。
映画やドラマ、小説など、五右衛門を題材にした作品も数多い。五右衛門の生涯は大半が通説や伝説ではあるが、そうした作品を楽しみながら歴史のロマンを感じてみるのも悪くないだろう。
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