本当は「自由の女神」とは呼ばない!名付けたのは明治時代の日本人?

アメリカのシンボルといえば「自由の女神」。1775年に始まった独立戦争の翌年7月4日にアメリカはイギリスからの独立を宣言し、それまでイギリスの植民地となっていた13の領土を取り戻してアメリカ合衆国として独立しました。
これが第3代目のアメリカ大統領トーマス=ジェファソンが発布したアメリカ独立宣言ですね。13の領土からスタートしたアメリカはイギリス、フランス、スペイン、メキシコから領土を買ったり譲ってもらったりして今の広さになったわけです。
そして、今年で242年。独立記念100周年の際、フランスの彫刻家バルトルディが自由の女神を制作し、1886年にフランスから寄贈しました。でも、すんなり完成したわけではないんですよ。
万博展示で資金集め

出典:ギュスターヴ・エッフェル(©GettyImages)
自由の女神を彫刻したのはバルトルディでしたが、内部の構造を設計したのはフランスの建築家ギュスターヴ・エッフェルでした。このエッフェルさん、あのエッフェル塔も設計した人でして、言うまでもなく建築界の偉人。
ちなみにエッフェル塔が完成したのは1889年の3月。自由の女神がアメリカへプレゼントされた3年後ですね。エッフェル塔と自由の女神は、ほぼ同じ時代に同じ建築家の手によって生まれたものだったのです。
しかし、スムーズに完成までたどり着いたエッフェル塔とは違い自由の女神は資金不足で少し遠回りしています。フランスが自由の女神の像を、アメリカが像を乗せる土台を作る計画だったのですが、両国とも資金が足りずに一旦休止。
そこで、1876年に開催されたフィラデルフィア万博に自由の女神の手と腕と松明(たいまつ)を展示品として出展し、入場料で資金集めに成功。1878年のパリ万博では自由の女神の頭部を追加し、これまた大盛況。
フランス・アメリカともに制作を再開し、1884年に自由の女神が完成しました。でも、このときはバラバラのパーツの状態。1885年に350のパーツをアメリカに船で運び、1886年4月に土台が完成したあと4ヶ月の期間をかけてパーツを組み合わせ無事に全てが完成するに至ります。
アメリカの独立記念100周年(1876年)の寄贈品としてフランス主導で制作された自由の女神は1886年10月28日にニューヨークのリバティ島(旧名はベドロー島)で除幕式を行い、現在もアメリカ合衆国のシンボルとなっていますね。












































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