真田氏のプライドを懸けて挑んだ真田幸村「大坂の陣」(中編)
画像:©信州Style「上田城跡公園」(長野県上田市二の丸)
3日間の沈黙を破り1600年10月11日、ついに上田城の戦い(第二次上田合戦)が幕を開けます。真田昌幸は巧妙な作戦を立てたうえで戦いに挑みますが、戦術だけでなく目的も明確にしています。
- 秀忠を上田城で足止めして関ヶ原の本戦に合流させない
- 信之と幸村の兵が戦わないように最善を尽くす(どちらも真田の兵だから)
すでに3日間も時間稼ぎをしているわけで、榊原康政が心配していた通り徳川軍は上田城で足止めを食らうことになります。さすがは知将、昌幸。まず、幸村は上田城から近い場所にある戸石城に移動し、待機しました。
一方、秀忠は信之を戸石城へ向かわせ、幸村の討伐を命じます。
知将・真田昌幸の策謀
画像:徳川秀忠の肖像(松平西福寺)
戸石城に信之が向かっていると報告を受けた幸村は、兵を引き連れ城を出て上田城へ移動しました。信之が戸石城に着いた頃には城の中は空っぽの状態。もちろん、昌幸の作戦通り。
信之を戸石城で足止めし、上田城の合戦には参加させないようにしました。一方の秀忠は、上田城の中にいる真田軍を外へ誘い出すために城外の田んぼや畑の稲を狩ります。
それを阻止しようと数百人の真田軍の兵が城から飛び出してきました。秀忠の狙い通りと思いきや、実は、これも昌幸の作戦でした。城から出てきた真田の兵を目掛け、本多忠勝が率いる徳川軍は一気に城門へと突撃します。
徳川軍が城門に到着した瞬間、城内で待ち構えていた真田の鉄砲隊が一斉射撃を浴びせました。鳴り響く銃声に驚く秀忠。昌幸は、わざと罠にかかったフリをして門前まで引き寄せたのです。
鉄砲の次は城内から無数の矢が降り注ぎ、パニックになった徳川軍は後方と前方の兵が乱れ合って大混雑。わけがわからず混乱する徳川軍に真田の兵がは突進し、大ダメージを与えました。
秀忠は上田城の攻撃を中止して兵を撤退させます。このとき、真田の鉄砲隊が逃げ道に先回りして身を潜めており、退却する徳川の兵に一斉射撃を浴びせ、またもや大ダメージを与えます。
昌幸は最後の仕上げに染谷台(秀忠が陣をかまえていた場所)の近くを流れる神川の堤防を幸村に崩させ、解放された大量の激流に徳川の兵たちは飲み込まれました。この堤防も昌幸が事前に築いていたと言われ、見事な作戦勝ち。
これ以上の戦いは危険と判断した秀忠は馬にまたがり逃走。徳川軍の圧勝で終わると思われた上田城の戦いは、1日も経たずに昌幸の勝利という結果で終了。
一方の秀忠は昌幸の策謀にハマり大敗して多くの兵を消耗しただけでなく、関ケ原の本戦に遅れて到着するという大失態を招く結果に・・・。家康が激怒したことは言うまでもありませんね。
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