上杉謙信だけじゃない!徳川将軍の9代目は"女性だった"って本当?
画像:徳川家重の肖像(長谷寺)
戦国武将にまつわる"女性説"といえば、越後の龍こと上杉謙信。都市伝説のように、まことしやかに囁かれ風説レベルですが、そんな中、なんと徳川家にも「実は女性だったのでは?」と噂される将軍がいるんです。
その人物が、徳川将軍9代目の家重。江戸城から上野寛永寺に行くまでの間に23箇所の便所を設置させるほどの頻尿体質だったので、付いたニックネームは小便公方(小便将軍)。
晩年は酒に溺れて頻尿が悪化・・・。なんとも不名誉な言われようですが、実際のところ家重の女性説を裏付けるような根拠はあるのでしょうか。
3分でわかる徳川家重
画像:徳川家重の肖像(徳川記念財団)
徳川将軍8代目の吉宗の長男として紀州藩邸(江戸赤坂)で生まれた家重。あまりクローズアップされませんが、今でいう「会計監査」の仕組みを先駆けた将軍なんですよ。
吉宗が確立した享保の改革※1を引き継いだ家重は5代目の綱吉が擁立した勘定吟味役※2を有効活用して会計監査に似た制度を導入し、さらに予算精度の導入や酒造に関する規制緩和など、経済面の改革に力を入れました。
※1財政再建のために新田開発や倹約、法令の整備などに取り組んだ改革
※2江戸幕府における勘定所(財政・民政を行う役所)に対して監査を行う役職
しかし、吉宗が享保の改革を行う際に行った増税が発端となり、民衆が一揆(反発)を起こしてしまいます。
その後始末にも追われた家重。なんだかんだで体調を崩し、晩年は脳麻痺を患って周囲が聞き取れないくらいの言語障害に悩まされていました。そもそも幼い頃から言語障害はひどかったそうですが、さらに悪化したみたいですね。
そんな家重の大きな支えになった人物が田沼意次。家重は意次に絶大な信頼を寄せていたため、亡くなる前に息子・家治への遺言として「意次を重用するように。きっとお前の力になってくれる」と言い残し51歳で他界しました。
徳川将軍といえば江戸幕府の開祖・家康や関ケ原に大遅刻した二代目の秀忠、武家諸法度を制定した家光や生類憐れみの令で何かと揶揄される綱吉、享保の改革でお馴染みの吉宗や最後の将軍・慶喜が有名。
でもね、家重も徳川将軍の名に恥じないように尽力した一人なんです。生まれつき体が弱く、体調を崩しやすかった家重は何かと具合が悪くなりやすかった体質で、言語障害や頻尿もその一つと考えられます。
致命的だったのは酒に溺れて尿毒症(尿路感染症)を患ったこと。さらに、現代の遺体調査で「顔面麻痺」だったことも判明しているそうで、原因は強い歯ぎしりによるものと言われています。
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